2005年11月26日

体育会という議論手法

空気が読めない人が増えている

正しい論理ばかりまくし立てたってしょうがない。

議論というのは、論理だけでは勝ち負けは決められない。

肺をみる医者。骨をみる医者。外科と内科。先輩と後輩。 集中治療室では、様々な立場の人が、様々な「看板」を背負って毎朝のミーティングに臨む。

誰もが負けることは許されない。医者なんて面子が全てだから、どんな議論でも勝ちにいく。 議論は大いにしてほしい。それはお客さんのためにもなるから。でもチームが瓦解することは なんとしてでも避けなくてはならない。それをやられると、お客が死ぬ。

議論の結果、みんなを勝たせる。空気の流れを操作するのはとても難しい。

win-win の関係なんて嘘だ。 あんなものはゲーム理論屋の詭弁だ。 論理の世界で「勝ち負け」を決めるのは、論理のルールでの議論で勝ったほうだ。 同じルールで議論をする限り、どちらが勝ったのかは当事者同士が一番よく分かる。 勝ったほうに「君も勝ったんだよ」なんて言われたって、 うれしいどころかそいつをブン殴りたくなるだけだ。

空気の読めない奴らが増えている。

昔はよかった。議論に勝ちそうになったほうは、「これ以上やると喧嘩だな…」と、 途中からは追求の手を緩めたもんだ。 論理対論理のぶつかりあいだった会議は、そのうち双方が空気を読むようになり、 「まあ、そんな感じで…」で決着する。結論は出るけれど、敗者はでない。 誰が最強かなんて無粋なものは誰も求めない、プロレス美学の世界。

今は違う。

ゆとり教育の産物。喧嘩をすれば相手を刺し殺すまで手を休めない、キレる中学生。 彼らを誰も笑えない。「エビデンス」なんて言う言葉が跋扈するようになって、事態はもっと悪くなった。

先生、そんなことも知らないんですかぁ?(プゲワラ

上級生の論理の穴を付けたとき、昔はよくこれをやっては先輩医師に喧嘩をうっていたけれど、 今では誰もがこれをやる。自覚的にやっていない分、当時の自分よりもよほどたちが悪い。

論理で勝つのは正しいのか

実世界での議論というのは、論理だけでは勝負がつかない。 論理だけで勝っていても、それは完全な勝利ではない。必ず怨恨が残る。 遺恨を残さず勝たなければ、完全な勝利とは言えない。

議論の遺恨を引きずるのは大人の態度じゃない。それはたしかに正しい。 でも、人間誰もがそんなに大人のわけがない。ましてや医者の「大人度」なんて、 小学生から進歩してないのがほとんどだ。

ディベートというのは、論理力の競争だ。競争というのは「勝ち負け」を作るから、 どうやっても怨恨が残る。ディベートの技術をそのまんま議論に持ち込むと、 必ず喧嘩になる。

議論に勝ったほうは気分がいいかもしれない。 でも負けたほうは非常にくやしい。議論に興味のない他の連中は、カラオケで下手な歌を がなられた時のような、不愉快な気分だけが残る。これでは誰もが不幸になる。 不幸になるのは、できれば避けたい。

権力で勝つのは卑怯だろうか?

議論の席に「権力」というルールを持ち込むと、勝ち負けの流れは不透明になる。

権力が強いとバカでも勝てる。どんなに理不尽な結論になっても、上級生がこう言っているから、 主将がこう言っているからという話になれば、それが結論だ。

議論に権力で勝つのは、論理的には卑怯な方法だ。それでも、議論に負けたほうは、 心の中で勝った相手を見下せる。勝ったほうも、どこか後ろめたさが残る。 お互いに完全な勝利じゃないから、傷つく度合いは少ない。

ディベートは相手を打ちのめす。体育会組織の理不尽な掟は、議論に参加した 人全てを保護する。

議論の層を使い分ける主将会

大会前の主将会は大変だ。

人がたくさん集まる場所では、必ず利害が対立する。学生同士のことだから、本当は そんなに重要なことを議論するわけじゃない。それでもみんなバカだったし、 だからこそ体育会に入ってる。主将が集まるだけに、誰もが譲れない看板を背負ってる。

そんな連中が集まる会議が揉めないわけがない。

ところが、会議が揉めると、主管校にとっては大きな問題がある。大会後のレセプションだ。

大会後は、必ず酒が入る。

体育会の飲み会だ。医学部体育会など「本物」に比べれば可愛いものだが、やっぱり荒れる。

主将のストレスは、部員に伝わる。宿泊先のホテルのロビーを全裸で歩く奴。フロントに絡んだり、 ソファーに吐いたりする奴はまだまだ可愛いほう。ひどいのになるとロビーで打ち上げ花火を 上げてみたり、ホテルの大鏡を割ってみたり。

弁償したり、ホテルに謝ったりするのは 主管校の仕事だ。これも体育会の掟。

誰もがこんなことにはなりたくないから、主将会の会議は絶対に論理だけでは終わらない。 主管校の議長は、いくつもの「議論の層(レイヤ)」を使い分けることで、 会議に敗者を生まないように配慮している。

議論の4つの層

体育会の議論には、大体以下の4つの層が存在する。

  • 論理の層
  • 空気の層
  • 水の層
  • 酒の層

どこかの層ので勝者は、どこかの層では敗者になる。

議事録に残る「会議の結論」は、どこかの層で出された結論に一致するけれど、全ての層で同じ結論に至るとは限らない。

体育会の主将会というのは、こうした多層構造の間を行き来することで、 誰もが敗者にならないようにできている。

論理の層と空気の層

いわゆる「議事録に残る」議論は、全て論理の層で行われる。

体育会でも会議の建前は民主主義だから、学年や大学名など関係なく、 論理を戦わせる議論の場というものも当然存在する。

大会前の主将会の時間など短いものだから、議論の流れとは別に、 主催者側は最初から「想定している結論」を 用意している。電話だろうがメールだろうが何でもありの時代。会議の前には当然根回しが行われ、 出席する主将のうちの何人かは最初から議長に協力する。

みんなできれば揉めたくないから(主将会が揉めると、後の大会の雰囲気が悪くなる)、 「議長はこうしたいんだな」という 空気を勝手に読む。論戦の流れと「空気」の流れが一致すると、会議は大過なく結論に至る。

もめない会議は、論理を尽くして、みんなが空気の流れを察したところで終わる。 議事の結論は、たいていは「空気の層」で決着される。

議論が論理層で動いているとき、こうした大学ごとの立場の差というものは無視される。 新人は論理層で頑張る。会議の場というのは、ある種社交の場だ。ここで各大学に 自分を紹介して、競技が終わったら親しく飲む仲間を作る。

会議の「空気」を作るのは、ベテラン勢の仕事だ。そうした人達はあらかじめ「根回し」を受けているから、 自分の言いたいことはもう会議の前に言い尽くしている。議論が論理層で動いていて、会議の空気が 乱れていないとき、ベテランは黙っている。論理の流れが「空気」の志向する方向と違ってくると、 ベテランがそれを修正する。

問題は、論理層で頑張っている主将が空気を読まなかったときだ。

論理だけが突っ走る会議は、「空気が汚れる」。 そんなとき、議長はトイレ休憩をはさんで議論に「水をさす」。

会議がひっくり返る水の層

「水入り」になったとたん、会議の空気は一変する。

主将会は、様々な立場の人の集まりだ。3年目の若い主将もいれば、 留年した「7年生」が同じ会議の席に座っていることもある。 人数の多い大学、伝統の長い大学もあれば、今年が初参加の大学だってある。

議事が論理層で動いているかぎり、会議ではこうした立場の差というのは関係ない。 論理的に正しい奴は、体育会でも正しい。

一方、議論の層が「水の層」に移ったとき、空気は一変してベテランが動き出す。

議長の本音は何なのか。「落しどころ」をどこに持っていこうとしているのか。 そうした流れを考えるまでに、水面下でどんなやり取りがあったのか。 議事録にはのらない話がどんどん出てくる。

主将会にも派閥がある。いつもまとまっている北海道勢。 東北と上越との確執。会津勢はいつも独立独歩。

トイレ休憩中は、いろいろなところで議論が一気に進む。廊下やトイレ、あるいは議長席を中心に。

それぞれのグループが思惑を一致させたところで、最後はみんなで「空気を作って」多数決で決着する。

敗者復活の酒の層

体育会の面白いところは、「酒」の力で議事がひっくり返るところだ。

論理で勝っても空気や水でひっくり返された主将は、競技後のレセプションではみんなから飲まされる。

主管校やベテラン勢はビールを持って挨拶に出向き、みんなで酒を飲んでその主将を潰す。 潰されたほうは負け…なのだが、そこは体育会の掟で、潰れたほうは「勝っている」。

逆のケースだってある。

あるときの飲み会。ある大学の主将がみんなの前で挨拶をした後、いきなり脱ぎだして全裸で一気飲み。

パンツを下ろせる奴は最強だ。「こいつには誰も勝てない…」心の折れた各大学の主将は発言力を失い、 しばらくの間、議論の流れはその大学のものになった。

体育会というコミュニケーションスキル

体育会の議論というのはとにかく勝者を作らない。理屈で勝っても、 結論が論理どおりになることなど むしろ少ないし、誰かが勝つときはいつも一番理不尽な方法で議論が終わる。

曰く、先輩だからとか。経験が勝るとか。酒で恫喝されたとか。

体育会という言語は、だいたい全国共通だ。

様々な議論の層を移動するタイミング。理屈で正しいこと以外に、 いろいろなものさしで結論が左右されること。こうした価値観は、 たぶん日本中の体育会で共有されている。 体育をやっていなくても、たとえばオーケストラとか、茶道部なども同じような心を持っている。

体育会同士は、共有しているコミュニケーションスキーマが豊富だから、「以心伝心」が効く。 おたがい相手の気持ちがある程度読めるから、「空気が読める」。

病棟で議論の層を移行するとき

たとえば心不全の患者が骨折で入院したとき、内科と整形外科、どちらが入院を取るかでよく揉める。

  • 内科はできれば受けたくないから、その患者の心臓がいかに落ち着いているのか、 管理の方針はどうやればいいのかを理屈でまくし立てる。
  • 整形外科は、問題のメインは「骨」だとは分かっているのだが、心臓なんていう分からないものはできれば内科に任せたい。

両方の科の協議のとき最初はお互い「ですます」調で語り合う。論理の層で話をする。

「どうせ話したって埒があかないな…」という空気になったとき、整形の先生が「俺らバカだからさ、 心臓分かんないんだわ」と語調を変えることがある。

これは、異なる議論レイヤへの移行を促す言葉なのだが、 体育会経験者以外は理解できない。

これを読めない内科は、「分からないならよりていねいに」、と気をきかせようとするのだが、 事態は余計にややこしくなるだけ。議論はいつまでも 平行線をたどってしまう。

体育会の作っていた「察する分化」

かつては、共有しているものの多さが「察する文化」を作った。病院も例外ではなく、以心伝心で 回している部分が結構あった。

体育会出身の奴、とくに主将の経験者は、相手の議論のアーキテクチャを理解しようとする。 たとえ文化を共有していない相手でも、お互いコミュニケーション自体には慣れているし、 何よりもコミュニケーションが大切だとお互い分かっているから、歩み寄るのは速い。

体育会のやりかたとは対照的なのが、「全てをオープンに」という技術系の人のコミュニケーションだ。

オープンの文化の中では、その発言力は発信できる情報の量と質とに比例する。

  • 情報を発信する技術を持っていること。
  • まわりに役立てられるコンテンツを持っていること。
  • 論理に強いこと。

こうしたものを備えていないと、オープンコミュニティーで発言力を持つのは 難しい。自分には無理だ。根回し専門。

体育会は、何も無くても先輩と後輩の繋がりだけはついてくる。長くいれば、長くいるなりに何か 発言できるし、どこかのレイヤでは「勝者」になれる。

極端な話、ベテランが「自分が敗者だ」と認めた ときでさえ、その人はどこかの層では「勝っている」。敗北を自ら認められる人というのは、体育会の 論理では潔い、かっこいい人だから。

体育会は空気で伝える。技術系は、情報の公開と共有が、そのままチームワークを作っている。

体育会と技術者とは意外に噛みあう。 お互いコミュニケーション自体には慣れているし、それが大切だということはお互い分かっているからだ。

問題なのは対立する2つの立場の両方に属せない人で、 この部分に入っている人が最近ますます増えている。

こういう人は、論理で勝つことしか頭にないから、 相手を論破しても、そのことで「自分が負けている」ことに 気が付けない。空気が悪くなっても、空気自体を読まないから暴走する。

このあたり、社会に出てから「世の中には、空気ってものがあるんだよ」なんて いまさら教えるのもどうかと思うし、 せめて学生のうちに、コミュニケーションの大切さぐらいには気がついてほしいのだが。

今結構困ってる。

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2005年11月22日

削る研修と育てる研修

民間病院の臨床研修

1年生の頃はひどかった。

入職してから、オリエンテーションに10日間。そのあとは、右も左も全く分からない病棟でいきなり30人持ち。

できるわけが無い。患者さんの把握をしようにも、名前一つ満足に覚えられない。新患など入った日には、残りの患者は放りっぱなしだ。何か頼まれたって新人には覚えられるわけがないし、 メモのとりかたや病棟での行動のしかた、トイレにいくタイミングや食事の時間、大事なものは 誰一人として教えてくれない。

新人は怒られる。理不尽な話だ。いくら怒られたって仕事はできないし、頼まれたオーダーはこなせない。

「もう駄目、辞める」と誰もが思う。実際辞める奴もいた。

それでも、もう駄目だ…と思った頃、その日は誰もが会っていないはずの患者さんはいつのまにか 診察され、適切なオーダーはすでになされている。

上司は自分よりもはるかに忙しい。新人が30人持ちなら、新人2人を抱えている上司は 60人を診察している。それでも病棟は把握され、事故もなく不思議と病棟は回る。

上級生が神に見えた。

最初はルールが分からない

要はこうすればいいのか…」というのが分かってきたのは、就職してから半年ぐらい経ってからだ。

要求されているのは、最初から無理なこと。端から丁寧に診察していたのでは、 絶対に間に合わない仕事量。

「大事なのは、上司が回診するときに必要な資料をそろえておくことで、自分が丁寧な診察をして、 適切な治療方針を考え出すことじゃないんだ」ということが理解されてからは、 だいぶ仕事が速くなった。

どんなゲームであっても、ルールブックは穴が空くほど読めという。

ルールを理解するということは、どこまで手を抜いてもいいのか、 限られた自分のリソースをどこに投入するのが戦略的に正しいのかを理解するということだ。

1年生に30人持たせて、それを全部診察して把握して、 治療方針まで決定せよというのは最初から無理な話。

当院の「ルールブック」は、実はそんな要求はしていなかった。

民間病院の「削る」研修

前の病院の研修医は、最初に無茶な要求をされて、 手の抜きかたを体で覚えさせられた。

何年経っても、仕事の絶対量自体はそんなに変わらない。慣れてくると時間が作れるようになるから、 今度はその時間を利用して勉強したり、仕事量に目を回している「去年の自分」のサポートをしたり。

臨床研修という行為は、「完成した医者」の姿になるよう、 自分自身の無駄な部分を削っていく作業だった。

当時の感覚で、完成した医者というのは、当時の自分達にとっては5年目ぐらいの上級生。 スタッフドクターは実力差がありすぎて、そもそも自分がそうなるというイメージが湧かなかった。

年次が上がると、かけ出しの医者もだんだんと上級生と同じような振る舞いができるようになる。 自分の将来像が近くにいて、自分がだんだんとそれに近づいている。当時は素直にうれしかった。

大学病院の「育てる」研修

大学病院の研修のやりかたは、民間とは逆だ。

研修医は、最初は1人の患者さんを診察する。慣れてきたら2人。さらに慣れたら4人。

だんだんと人数を増やしていって、負荷に耐えられるようになった頃には市中病院へ。 そこでもまた、少ない人数から仕事をはじめ、だんだんと負担が大きくなっていく。

上級生は存在しない。大学というところは、基本的にはスタッフと研修医師かいない。 中間層は、みんな外病院で働いているから、 自分の身近な将来像というものは自分で想像するしかない。

想像力というのは天井知らずだ。大学では、個人の力でいくらでも資質を伸ばせる。

こちらのほうが、「人を育てる」という意味では本来あるべき研修のやりかただ。

「いい医者」を作るには?

削る研修と育てる研修。臨床研修を5年やるとして、出来上がる医者のスタイルはだいぶ異なる。

削られた医者というのは、仕事が速い。なんでも器用にこなすし、受け持ちが増えても負荷に強い。

ところが分業で仕事をするのに慣れてしまって、初めてみる病気に対する対処が出来ない。 ひどいの(昔の自分)になると、「判断」することを完全に放棄してしまっているから、上司の 一言がもらえないと一人では何も仕事が出来ない。

育てられた医者は、「患者を診察して、治療して退院させる」ということを一人でやってきたから、 不測の事態に強い。

世の中で最高の治療を受けようと思ったら、優秀な「育てられた」医者にかかることだ。

自分の力で育ってきた医者というのは、手の抜きかたを知らない。 検査もきっちりやるし、診察も手を抜かない。 育てられた人達は、今までずっとそうやってきたから、他の方法を知らない。

彼らは何でも知ってるし、どんなに細かい部分も手を抜かないから、安心して現場をまかせられる。

勝負が短期間ですむならば。

ルールの抜け穴を探す「削られた」医者

削られた医者と育てられた医者、前者の方が圧倒的に強くなるのは、体力勝負の現場で長期間 働いたときだ。

最初から無茶な負荷をかけられてきた研修医は、「手」は抜けることを知っている。

教科書的にちゃんとやらなくても、 事故はまずおきないし、診察なんてやらなくても、どうせ血液検査をするなら大丈夫。 検査室と仲良くなっておけば、データなんか自分で見なくても、異常があれば教えてくれる。

「削られた」奴の医療はだ。削られて育った研修医の中では、優秀な研修医というのは 一番手を抜ける研修医のことだ。

新しい環境に飛ばされたとき、「削られた」奴は、まずはその場の「ルール」を理解しようとする。

ここでは何が大事なのか。とにかく夕方までに検査をそろえることなのか。 上司の目が届く範囲で、体を動かすふりをし続けることなのか。

少なくとも研修医であるうちは、「いい医者であること」「患者を正しく治すこと」がルールとして 求められることはありえない。上司のルールブックに記載された勝利条件と、その場での 本当の勝利条件はたいていの場合大きく異なる

「いい医者」は勝利条件になりうるか?

「いい医者」であることは、医療の世界では万能の勝利条件になりうる。

ところが、限られた条件の中でそれを達成するのは不可能だ。

バカみたいに最善を尽くすのと、ルールの中で最善の結果を出すのとは違う。

たとえば自動車レースの世界がそうだ。

F1マシンはサーキットの中でしか最速にはなりえないし、ラリーに参加する車がフォーミュラカーに 勝負をいどんだって勝てるはずがない。どんなにパワーの大きなエンジンを積んだところで、 地球上の全ての道で最速を達成する車など作れるわけがない。
逆に、勝利条件が「地上最速であること」だけならば、 今度は「地面を走る」という条件を捨てられる可能性を考えなくてはならない。 地上すれすれを飛ぶジェット機だって、 ルールの解釈によっては十分地上最速だ。

投入できるリソースというものは限られている。個人の資質の優劣はあっても、 人間誰でも24時間しか持っていないという点は公平だ。

「いい医者」をやるには非常な時間がかかる。「時間をかけてていねいに」が いい医者の条件の一つだからだ。一人の患者さんになら、誰だって「いい医者」の顔ができる。 100人相手なら、どんなに優秀な医者だって無理だ。

研修医の実力では「いい医者」になれる可能性などない。 ルールに従っているならば、「正しく」やってもいいかげんにやっても、 結果が同じならばそれで良し。

ルールは年次が上がると共にどんどん変わる。

1年目のうちは、上司から怒られなければ何をやっても大丈夫。 ミスがあれば、上級生が叱った後に直してくれる。 年次が上がるとそうはいかない。評価をするのは、上司でなく 実際の患者さんになる。

上司の目はごまかせても、病気の目はごまかせない。間違った手の抜きかたをすれば、 今度は自分で責任をとる必要が出てくる。島に1人で飛ばされた3年目。これからは自分の責任で やらないといけない…と島に着いてから初めて気がつき、愕然とした。

病棟をそつなく回せる能力と、スタンドアローンで患者を診る能力とは全く別。「育てられた」研修医なら、 両者は全く同じなのだが、自分を削ってきた研修医にとっては全く別のものだった。 それから慌てて勉強し直し、最近はやっと何とかなるようになった。

医療は技術か芸術か

「芸」と「技」は着実に分離されて行く。言葉を変えると専門化は確実に進んで行く。
どんな学問も産業も必ず通る道である。公式を見つけるのは芸だが、それを使いこなすのは技であり、 公式を覚えるのに公式を見つける能力は必要とされない。
そして公式さえ覚えていれば、フィールズ賞は取れなくても職にありつくことは出来るのだ。 404 Blog Not Found:Geek 2.0より引用

最近、大学の先生が過労で倒れた。去年から数えて、これで2人目だ。

非常にまじめだった方で、どんなに疲れているときでも絶対に手を抜かなかったらしい。

外病院は人も少ない。誰かが疲れきっていたところで、自分達は何も出来ない。

誰も余裕なんかない。5時に帰る精神科だって常にプレッシャーと戦ってるし、 稼ぎ頭の眼科医だって人生極楽ってわけじゃない。忙しい科というのはたいてい赤字だから、 眼科がいなければそもそもメジャー科が仕事が出来ない病院だってたくさんある。

大学出身の医師はまじめだ。みんな自分のことを研究者、芸術家だと思っているし、 勉強を欠かさないから診察のクオリティは高い。

その反面、大学流で育てられた人は手を抜けない。

みんなその場のルールを理解しようとしない。その施設での現実解と、 医学的な理想解との差を気合で埋めようとする。

みんな、自分の力で自分の限界を押し上げてきたから、自分の限界が分からない。 「分からない」ということは研究者にとっては罪だから、そこでまた自分を責める。

成長が喜びにならない「育てる」研修というのは、結構つらいような気がする。

最初から限界が見えると、ゴールが見える。だんだんとそこに近づけるから、 最初のショックさえ乗り越えられれば、その後はうれしい。 その代わり、ゴールが見えるということは、もしかしたら「もっと伸びる」可能性を 封じてしまっているのかもしれない。自分はそもそもそこまで行き着けなかったから、 あまり関係ないけど。

育てる研修と、削る研修。どちらが正解に近いのだろう。

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2005年11月18日

マインドマップでお仕事

しばらく前からマインドマップでカルテを書いている。

集中治療室には、いわゆる「カルテ」は担当する科の主治医がつける。ICUの医師は交代制なので、 その日の朝のミーティングから、次の勤務帯に引き継ぐまでの間の覚え書きをつけるだけ。 何かイベントがあったら、引継ぎの時に主治医に報告する。

ノイズを情報にする手段

他の業界に比べれば、医者同士のプレゼンテーションはいいかげんだ。

プレゼンの技術なんてだれも知らないし、大体主治医が3日寝てないなんて当たり前。 ICUに集まる医者なんていつもみんな睡眠不足だから、机についたとたんに主治医が気絶するなんて、 漫画みたいなことが本当に良くある。特に某外科。

新患を紹介したり、申し送りをする医者はたいてい研修医だから、そもそもの発表からして 痴呆老人の妄言とあんまり変わらない。まとまってないし、主題が見えにくい。

他科の先生、特に研修医だからそんなに問い詰めてもしょうがないし、 改善してもらおうにも先立つ体力が残っていない。情報を得るには 自分で工夫するしかない。

マインドマップはそんなときにけっこう役に立つ、ような気がする。

マインドマップでメモをとる

マインドマップの本を読むと、これで授業ノートを取るとか、インタビューのまとめができるとか 書いてある。

それは不可能だと思う。というか、そう思ってた。

マインドマップをはじめとする構造化記法では、キーワードは「樹」のような構造をとる。 これから話される話題の中心になるキーワード、樹構造の「幹」にあたるものは何なのか。 これが分からなければ、マインドマップは作りようがない。

話題がどこに飛ぶのかわからない講義、「言葉尻」が大切な問診表といったものには、 マインドマップは不向きだ。

どこに話題の中心があるのか分からなければ、キーワードの枝など作りようがないし、 講義を聞きながら話題の分類を考えるようでは遅い。枝を生やす前に、「幹」は前もって 作っておかないと、このノートの取りかたは有効には生かせない。

未来予想型のメモ

マインドマップを使ってノートを取るときの最大のメリットというのは、前もってメモの中心部分、 木の幹にあたる部分を書いておくことで、講義中は講義それ自体に意識を集中できるというところだ。

従来型のメモのとりかたでは、予習をしてもノートを作れない。

キーワードを並べても、それぞれの キーワード毎のメモの分量までは読めない。メモ帳にキーワードを等間隔で並べれば 空きが目立ってしまう。後から見直すとき、空白の多い部分は目立つ。本当は文字がぎっしりと 詰まった部分の方が重要な話題なのに、メモの体裁はそれを反映してくれない。

無駄を無くすには、一つのキーワードごとにカードを作ればいい。ところが、今度は 一覧性がなくなってしまう。

結局のところ、メモは講義を聞きながら編集するしかない。「記録」と「編集」、同時に 2つのことをこなしながらでないとノートが取れないから、演者の話に集中できない。

マインドマップは中心に大まかなキーワードを書いて、放射状にメモを伸ばしていく。

記載の自由度が高いから、従来型のメモに比べてスペースの無駄は少なくできる。 最初にキーワードを書きこんでおいて、あとは話を聞きながら話題ごとに枝を伸ばせるので、 講義を聞いているときの頭の負荷が少ない。編集を先にやっておけるので、 講義中は記録だけに集中できる。

病院でマインドマップ

これからどんな話題が話されるのか分からない学校の授業、あるいは講演会といったイベントのノートを マインドマップで作るには、話される内容の概略をあらかじめ知っておく必要がある。

知らないから授業を受ける。ノートを取るには、知っていなくてはならない。矛盾している。

マインドマップの本では、最初の「幹」になる単語は講義の題名などから発想するか、 あらかじめ演者に概略を教えてもらうようにせよと書いてある。けっこう無茶だと思う。

でも、病院内ならできる。話題が「病気」に限られているからだ。 患者さんの年齢と病名、大雑把にどんな状況でICU入室になったのかだけでも分かれば、 キーワードはけっこう絞れる。

たとえば交通事故で肝損傷、気胸を合併して人工呼吸器のついている患者さんを申し送られるとき、 ミーティングの前にここまでは書ける。実際には、大学ノートにボールペンで手書きしている。

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病名から連想する疑問点は病名から枝を伸ばして書く。それ以外の全体的なことは、中枢系、 循環系、呼吸系、腎機能や水バランス、栄養状態、感染症対策に分けて書く。 8つぐらいの枝ができる。実際には、最初の枝だけは木の幹のように太く書いておく(結構大事)。

ミーティングの時、主治医や当直医の口から出た話題をまとめると、だいたいこんな感じになる。

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このあと、実際に患者さん(目の前にいる)を診察して、問題点を整理する。 色は変え、自分の勤務帯でおきたことは赤ボールペンで書く。たとえば尿量が少ない時、 何を考えたか、何を調べたか、または何をしたのか。頭に浮かんだことをとりあえず書いておく。

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また、ミーティング前にこちらが想定していなかった点を主治医から教えられることもある。 それも別途枝を伸ばして記載し、自分の勤務帯で疑問に思ったことがあったらまとめて、何かの時に主治医に聞く。

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そんなこんなで勤務が終わって、申し送りをするときには自分はこんなノートを見ながらしゃべっている。

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結構うまくいく。

時間短縮になるか?

ICUで7人患者さんをみるとして、事前に7人分のマップを作るのに15分ぐらい。キーワードさえ作ってしまうと、ミーティング中のメモはたしかにやりやすい。

引継ぎをするときの時間は、正直そんなに変わらない。

何かの議論になったときは、どこに何が書いてあるのかすぐ分かるのでたしかに速い。ところが、自分が年をとりすぎてしまい、循環器内科として院内に面が割れてしまっているので、ミーティングの時にそもそも議論にならない。何か意見しても、「では、先生の方針で…」で議論が終わる。マインドマップの意味がない。

前よりも頭は使っている気はする。気のせいかもしれないけれど。それが実際に役に立っているのかは、 こればっかりはあと1年ぐらい使ってみないと分からない。

コツみたいなもの

  1. 最初の枝は太く書く。そうしないとキーワードを探すのに、わずかだけ時間がかかる。ミーティング中は、その「わずか」が結構大事。
  2. 枝は曲線で書く。直線でつないだり、あるいは枝を鋭角に曲げると、視線が行き場を失う。やはり、杢的の単語にたどり着くのがわずかだけ遅くなる。
  3. 色を使う。引継ぎ事項は黒。日中の出来事は赤。ToDo事項は青の3色を使っている。色を使えば使うほど派手になり、「変なことやってる」感は強くなってしまうが、便利なんだからしょうがない。

他、用紙は横長で使うとか、無地の紙を使うとか、絵を描くとか、いろいろなルールがあるのだが、全部 無視している。

他の病棟で使えるか?

西洋医学のカルテの書きかたは「POSシステム」でほぼ統一されている。

この方法は、患者入院と同時に「プロブレムリスト」を作り、それぞれのプロブレムごとに

  • S:患者さんのお話
  • O:理学所見や検査所見
  • A:それに対する主治医の考え
  • P:今後のプラン

の4つを分けて書く。

たとえば糖尿病と胃潰瘍がある患者さんが心筋梗塞で入院すると、 プロブレムリストは「心筋梗塞」「糖尿病」「胃潰瘍」の少なくとも3つ並ぶ。

主治医のカルテには、「SOAP」の4つが、毎日最低でも12コならぶ。非常に煩雑で、 本当にこのとおりの書きかたをしている医師は、たぶんほとんどいない。

この方式自体は、マインドマップ記法と親和性が高い。その代わり、毎日マップを 作り直す手間は膨大で、患者さんが何十人にもなったら不可能だろう。

将来つかえるか?

たくさんのマインドマップを用意する手間は、電子カルテの時代であれば簡単に乗り越えられる。

電子カルテほどうざったいものはないけれど、前日の記載内容を簡単にコピーして持ってこれるのは ありがたい。

患者さんごとのマップを毎日1枚、それに医師だろうが、ナースだろうが、スタッフがそれぞれの色で 勝手に書き込んでいくようなものを作ると、けっこう役に立つかもしれない。

おそらくは最大の問題点はその見た目だ。

「堅さ」がないというか、いかにも自己啓発系の人が好みそうな見た目。 自分がなんだかとても恥ずかしいことをしているような気分になる。 マインドマップのノートの見た目 というのは、これを相当にとっつき難いものにしている。

病棟でも、こんなものを使っているのは自分だけ。 なかなか他人様には勧められない。

ガイドブックも、「人生に奇跡を起こす」とか、「驚くほど」「奇跡の」といった煽り文句が 並んでいて、エロ本を買うより恥ずかしい。奇跡なんていらないから、羞恥心を減らしてほしい。

岩波新書とか、ブルーバックスとか、もうすこし堅いところからガイドブックが 出版されると、もっと手軽に人に紹介できるのだが。

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2005年11月12日

HFOVの原理と臨床

プレゼンテーションを作った。
来週から実際に使う。

HFOVの原理と臨床

興味のある人、何人ぐらいいるんだろう…。

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2005年11月10日

HFOVクイックガイド

現在、うちのICUには R-100という呼吸器のデモ機が入っている。

この機械はHFOV(高頻度換気)という小児科で使われる古い呼吸器モードを 備えた呼吸器なのだが、成人でも使えるだけのパワーを持っているところが 新しい。

BILEVELが広まって以後、人工呼吸器に関しては全く興味を失っていたのだが、 この呼吸器は久々に面白い。自分の肺につないで試してみると、全く新しい感覚で 呼吸ができる。慣れると、自分では全く呼吸しなくても、振動だけでちゃんと換気が行える。

ARDSの治療はこの数年全く進歩が無い(エラスポールなんて、単なる「水」だ…)が、 この呼吸器は久々に「くる」気がする。

で、Johns Hopkins 病院の成人用のHFOVのマニュアルを和訳したので、 興味のある人は使ってみてください。誤訳等、指摘していただければ幸いです。

原著はCritical Care Medicine 2005.Vol.33,Suppl.No.3 の中から抜粋。

現物はこちらPDF版も作りました。

原理とか応用とか、詳しい資料を製作中。論文を引っ張ると、呼吸の世界ではなく 波動の世界の話題になってしまい、数式だらけで理解するのに一苦労。 日本語の文献、一つも無いし。いつ出来上がるのやら…。

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2005年11月 6日

初心者の手技はなぜ怖いのか

エルステ寿司

昔の外科では、どこの病院でも「エルステ(初めての)寿司」という 習慣があった。

初めての虫垂炎。初めての胆摘。若手の外科医がなにか新しい手術の執刀医となったとき、 あるいは新任の外科の先生が新しい病院での第一例の執刀医となったときに、 周囲のスタッフに寿司をご馳走する。

おごる範囲は広範。前立ちをしてくれた先生や、手術室のスタッフ。病棟ナースなど総勢十数名。 新人の頃、新しい手技を覚えるたびにこれが何度かあり、けっこう痛い出費になった。

1年目、2年目はどちらかというとお礼をする側。 そのうちなんだかんだと年をとって、おごる側からおごられる側に回ると、 今度は新人の夕飯代を持つ義務が出てくる。結局同じ病院で働くかぎり、結局損得は生じない。

このお寿司の意味というのは、見守ってくれた人への御礼というよりは、 初心者の手術を見守ってくれた恐怖に対する報酬のようなものだ。

初心者の手技はなぜ怖いのか

初心者は危なっかしい。自分が手を出せば簡単に終わるような手技も、 教育上はそう簡単には手を出せない。

手技というのは、自分で最初から最後までやらないと絶対に身につかない。 人を育てようと思ったら、とにかく見守るしかない。

初心者の手術を見守るのは怖い。何年たっても怖い。慣れるどころか、 年をとってますます怖い。

初心者の手技の恐怖はなぜ慣れないのか。たぶん、それが予測に対する恐怖だからだ。

他人の運転する車は怖い

  • ブラインドコーナーでスピードを落とさない奴。
  • 自分なら当然ブレーキを残して進入するカーブを、ノーブレーキで突っ込む奴。

本人達は平気で走る。自分もかなり乱暴な運転をしてきたから、「怖い運転」をする人たちよりも よっぽどラフな運転をする。それでも怖い。

助手席に乗るのがぜんぜん怖くないという人もいる。たいていは普段運転しないドライバーだったり、 事故を体験したことがない人たちだ。

他人から見て怖い運転をする人、あるいは他人の運転が怖く思えない人というのは、 言い換えれば「安全かどうか」の判断がにぶいか、あるいは出来ない人たちだ。

大学時代。四方を山に囲まれた環境で免許を取ると、当然夜中は峠で練習だ。 考えることは誰もが同じ。地元警察とはみんな顔なじみ。 みんなバカで無茶だったし、事故も多かった。

それでも車は正直だ。走れば走るだけ上手くなる。 おっかなびっくり走ってた頃から、アクセルで曲がることを覚え、スピンターンを覚え、 ドリフトを…なんて考える頃には国試目前。でも走ってた。

ベテランは予測する

峠は全部ブラインドコーナーだから、次におこることを予想しながらでないと 怖くてアクセルを踏めない。予想しないでカーブに進入すると、対向車と接触しそうになったり、 思いのほかカーブがきつくて曲がり切れなかったり。

怖い思いを何度もしながら、だんだんと「予測すること」を覚え、アクセルやブレーキのタイミングは だんだんと速くなる。

慣れたドライバーと、初心者との運転の差がつくのはここだ。

  • ベテランは何をするにもタイミングが速い。次のイベントを「読んで」動いているからタイミングがずれない。
  • 初心者は、次のイベントを「見て」から動くから、どうしても正しい動作のタイミングが遅れる。

横に乗っていると、この「タイミングのずれ」が非常に怖い。自分のほうがよっぽど危ない運転をしていたはずなのに。

丘のむこうには何がある?

人工衛星やレーダーなど無かった時代。平面世界で戦争をしていた頃は、 目の前に丘があれば、その先は全く見えなかった。

ナポレオンをワーテルローの戦いで破ったウェリントン公爵は、「軍人として過ごした歳月の 半分は、あの丘のむこうに何があるのだろうと悩む繰り返しであった」と回顧している。

騎馬戦の時代。もちろんレーダーや人工衛星などはない。 敵の位置や部隊の大きさはもとより、見方の部隊の位置すらも把握するのは難しかった。

戦いは「読み」と「予測」の勝負になった。不完全な情報から、いかにして正しい結果を導くのか。 戦いの雌雄を決するのは、過去の経験と運が全てだ。

大昔の戦いでは、老獪な将軍は、しばしば若手に打ち破られる。

そういう話で無いとドラマにならないという側面はもちろんあるのだろうけれど、 ベテランの経験の蓄積というものは、もしかしたら大胆な戦略をとることに躊躇させるのかもしれない。

ベテランをベテランにしている経験というものの多くは、失敗経験だ。

成功した事例をいくら積んでも、そこから外れたときの対応策を学ぶことは出来ない。 多く失敗した人、そこから何とかして生還した経験を多く持っている人が真のベテランだ。

失敗経験というものは積み重なる。軽い失敗の経験は、もっと「ヤバい」失敗経験で上書きされる。 長くやっている人ほど悲観的になり、初心者の手技は見ていてますます怖くなる。

経験は使いまわせる

手技の上手下手は、手の動きと経験との両方で決まる。

器用な人でも「危ない」人はいる。合併症の事例をデータとしては 理解していても、感覚として危ないという意識が薄い。

「感覚」とか、「経験」というものは使いまわしがきく。内科から外科。外科から内科。 専攻を変えればまた初心者からやり直しだ。それでも、そうした人たちがまた「ベテラン」になるのは 速い。

経験というのは絶対量がものをいう。その内容は、実はけっこうどうでもいい。 何かの手技をやってもらうとき、 オペレーターと監督者とで、共有する経験の絶対量が同じだと、お互いに安心感がある。 初心者なりにも安心して見ていられるからまかせられるし、手技も速く上達する。

どこか特定の科を何年もやって、その分野でベテランになってからの転職は、結構うまくいくらしい。 ベテランは、異分野にいってもすぐベテランになるそうだ。きっとそうだ。そうでないと自分、とても困る。

一方、短い期間で転職を繰り返しても、いつまでたっても初心者のままだ。 経験を使いまわそうにも蓄積が無いから、 なかなか「安心感」を持ってもらえない。

たとえば同じ5年という時間があって、5つの科を回るとする。1年ずつ5科を回るより、最初の3年は一つの科、残りは半年づつ4つの科を回ったほうが、トータルで得られる経験値はきっと多い。

経験は伝えられるか?

乱暴な手技が多かった10年前と違い、今は道具が本当に良くなった。

カテはどんどん簡単になり、開腹手術は腹腔鏡にとって代わり、 内視鏡は診断の道具ではなく、もはや治療の道具になりつつある。

道具が進歩して安全になる一方で、1回の手技から得られる経験はますます減っている。

新しい道具を使った手技は、上手くいって当たり前。合併症はあらかた潰し尽くされ、 その対処や予防も確立してきたから、もはやめったに目にすることも無い。

今の道具は危機感を伝えてくれない。腹腔鏡やカテの透視、開腹手術や使いにくいカテーテルの 時代を知っている人達は、「体の中でおきていること」を想像しながら道具を操作する。

自分達の研修維持代。カテを学ぶときは、 「教育用」と称して、あえて扱いにくいカテーテルを使って研修を受けた。 今は道具が改良されすぎて、そうしたこともなくなってしまったけれど。

道具がバーチャルになるほど、そこから得られる経験は少ない。

もしかしたら出来のいいシミュレーターが今後問題を解決してくれるかもしれないけれど、 それまでの間はベテランの昔話だけが頼りだ。人の話を聞きだすのが上手な研修医、 飲み会のヨタ話をしっかり覚えている能力といったものは、今後しばらくの間は その研修医を助けてくれると思う。

  • なにか不安に思ったら、そこで立ち止まって確認する勇気を持つこと
  • 上手くいっているときでも、手元に情報が伝わらないことを怖いと感じられるセンス

そんなあたりが、初心者がベテランに化けていくかどうかを分ける気がする。

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2005年11月 1日

転職先で教えてくれない3つのこと

勤務先で「いい人」になるために

勤務する科を変更して1ヶ月。

もともとの循環器内科から、いまは集中治療室。

1年生の頃から、外科をやったり、救急をやったり。いくつもの科を転々としてきたけれど、もう慣れた。

新しい職場に移るとき、迎えてくれる側は必ず簡単な職場の紹介をしてくれる。

  • 勤務時間は何時から何時までなのか。
  • 仕事の内容はどうなっているのか。
  • 病棟の患者の病名や、治療していくのに必要な知識。
  • 他のスタッフの年次や専門。

どの病院にいっても、こうした情報は必ず教えてくれる。ここまでは公平。

それでも新人は区別される。出来のいい奴と悪い奴。使える新人と、ダメな新人。

新人に張られるレッテルというものは、新しい職場に入って最初の1ヶ月で大体決まる。 その病棟で面白おかしく過ごしたいならば、貼られるレッテルは少しでも「いい」ほうがいい。

どうやったらその職場で「いい奴」になれるのか。マニュアルなんか無い。でも、運不運や相性だけで 決まるほどデタラメなものでもない。

個人的にいつも気をつけるようにしているのは、以下の3つのことだ。

  • 兵站を確保しておくこと
  • 空気を読むこと
  • 自分の在庫を把握しておくこと

兵站の確保

兵站は大事だ。これこそが戦略のアルファにしてオメガだ。
戦いの帰趨は兵站戦の長さで決まる。補給が十分になされなければ戦いは負ける。
兵站線の長短は、物理的距離のみを差すのではない。
例えば中共軍は農村そのものを兵站基地に出来た事で、格段にこれを短くした。 国連軍は、日本を兵站基地にすることで兵站線をイーヴンまで持って行った。 軍略における工夫というのは、兵站のよしあしに繋がる。
404blog not foundより引用

熱心さを見せつけることなんて簡単だ。1日中休まず働けば、誰だって認めてくれる。

それでも、「いい奴だ」と思われるには、熱心なだけでは足りない。 医者にとって必要なのは、瞬発力では無くて持続力だ。「あるとき」熱心な奴は大勢いる。 ところが、「いつも」熱心な奴は少ない。どんなに頑張ったって、そのうち疲れる。 無理して繕った熱心さは、いつか化けの皮がはがれる。

いつ一息入れるのか。いつサボるのか。

24時間同じテンションで働ける人などいない。どんなベテランだって、どこかで休むし 食事もする。トイレだって必要だし、1日に2000ml程度の水分補給をしなければ、そもそも 動けない。

誰だってサボる。そう見えないのは、みんなが同じリズムでサボっているからだ。

新しい職場では、そのリズムがまだ見えない。新人は、いつサボっていいのか分からない。 だから新人がサボると目立つ。 目立ったら、自分に張られるレッテルは、あまり面白い内容にならないかもしれない。

兵站路の確保のしかたをレクチャーしてくれる人は少ない。

  • この職場では、どこまでの手抜きが許されるのか。
  • 予後に関係なければ堂々とサボれるのか、表面上はあくまでも熱心さが要求されるのか。
  • ぶっ通しで仕事をして、みんなまとめて休むのか。交代で手を抜いて、勤務時間中はテンションを保つのか。
  • 雰囲気を監督する人がいるならば、その監視者は誰なのか。

職場紹介の時にはこんな話は出ないし、病棟になじんでしまってからでは手遅れだ。

兵站の情報というのは、ドラマにならない。病気のことに比べればいかにもつまらない話だし、 みんな毎日同じことをしてるから、目新しさもない。 「伝えなくてはいけない」という気にならないから、伝わらない。

新人にとっては、兵站路の確保はまさに死活問題だ。食べるタイミング。トイレにいくタイミング。 寝るのに適したソファーの場所や、ごろ寝しても邪魔にならない床の場所。

医者にとって、病棟という場所は「職場」というよりは「生活の場所」だ。 食べて、働いて、寝るという生活サイクルが病院内で完結できないと、そこで仕事をするのは不可能だ。

新しい職場についたら、最初の1週間は何とか死ぬ気で頑張る。その時期に、治療や手技といった派手な 情報とは別に、自分なりの兵站の確保を行わないと、2週間目以降にボロが出る。

空気を読む

医局の空気というものは、科が替わると全く異なってしまう。

空気というものは、動物の習性と大体同じだ。群れをなすのが好きなのか、個人行動が重視されるのか。

群れる空気の医局というのは、いつまでも一緒に行動するのが美徳だ。

みんないつまでもダラダラ残っているし、速く帰ったら疎遠になる。 集団行動系の医局はいつでも仲間が大勢いる。夜中に患者が急変しても、当然のように 誰か手伝ってくれるし、自分もまた他の人を手伝う。その代わり、「仲間」の空気を維持していくのは 大変で、要するエネルギーは相当大きい。

群れる空気の中では、誰かを頼ると仲間になれる。新人はSOSコールを積極的に出せるし、 そのことがまたその新人を「仲間」に認定してくれる。

その代わり、新しい技術を覚えても、 それを勝手に一人でやったりすると「空気」が汚れる。仲間なら、必ず誰かを呼ぶだろう? そのあたりの空気を読めない奴は、仲間になりつづけるのは難しい。

個人主義の医局は逆だ。

みんな仕事が終わるとさっさと帰るし、あんまり頼ると嫌われる。 誰もがスタンドアローンで行動できることを求められるから、必要な技術は速く身に付けないと、 置いていかれてしまう。

オンとオフははっきりしている。職場で何か失敗しても、その日が終わるとその失点が持ち越されることは少ない。

医局の空気と、他のスタッフも交えた職場の空気というものも、また違う。

職場の中で人の序列を決めているのは、兵隊の位ではなく噂話のパワーだ。

スタッフ同士の休み時間の噂話のネットワークで、「ハブ」になっている人は誰なのか。 誰をどう認定するのかの決定権を持っているのは誰で、自分は今のところどう見られているのか。 現場のスタッフの中で、誰が疎外されていて、誰が仲たがいしているのか。 影口に乗っかるなら、敵役を誰にするのが一番受けるのか。

空気というものは本当に厄介で、はじめのうちは何が正しくて、何が間違っているのかぜんぜん分からない。 そんなものに振り回されるのは鬱陶しいし、いやだけれどあるものはしかたが無い。 空気に振り回されたくなければ、自分も空気を作る側に回りこむしかない。

自分の中の商品在庫

いろいろな科を回ってきた。他の人は知らない知識もたくさんあるし、 得意な手技もいくつかある。当然苦手なものも多いし、出来ないこともまだまだたくさんある。

自分を把握するということは、多分結構大事だ。

新しい職場に入るときに、自分の中の知識のうち、どれがそのまま持ち越し可能で、 どの知識を変更しなくてはならないのか。自分の「売り」にできるのはどんなことで、 逆に弱点になるのはどんな部分か。

自分の場合、たとえば輸液の調整がちょっと得意で、抗生物質の使いかたや人工呼吸器の 使いかたは、前の病棟ではよく口を出していた。循環器の知識は一応豊富。 心カテはできる。下手だけど、心エコーも一応できる。「在庫」はこんなところだ。

ICUに入ると、こうした在庫の値札が全く変わる。

  • 輸液の作法は、内科と外科では全く違う。ICUの輸液は外科系。内科のノウハウは通用しない。
  • 人工呼吸器の管理は、そもそもが麻酔科が専門。ICUにはゴロゴロいる。
  • 抗生剤については、いまの病棟には感染症の専門医がいる。
  • 心カテは出来ても、カテ室が無ければ役に立たない。
  • 心エコーは、幸い自分にしか出来ない。前の病棟では、自分が一番下手だったのに。
  • 血液浄化の知識。ICUではみんな知って手当たり前。自分は全く知らない。

自分の知らないことは学べばいい。これは簡単。教えてくれるし。

厄介なのは、自分の「得意分野」と思っていた知識をどうモディファイするかだ。

誰だって、自分を大きく見せたい。

自分の得意なことというのは、本当に自分ならではなのか。もっと優秀な奴がいたのに、 その人の得意分野を偉そうに語ってみせても「かわいそうな人」としか思われない。

得意というのは、単なる一人よがりになっていないか。昔よくやってしまったのが、 「得意」と公言していた分野で質問を受けて、「臨床的には…」と経験論以外の解説ができなかったこと。 10年にも満たない若いやつの「経験」なんて、単なる笑い話のダシにしかならない。

知っていることと、教えられることとの間には非常な隔たりがあったりする。 「得意」と公言するには、権威になれなければ意味が無い。

特に、得意分野が元からいたスタッフとかち合っていたときには厄介だ。

血気盛んだった頃。いきなりバトルを挑んで何度も失敗した。成功したこともあったけど。 どちらに転んでも血は流れる。修復は大変。 まずは謙虚に話を聞く。最初から喧嘩をしてもしょうがない。

で、冷静になって在庫目録を確認。「売り物」はカビの生えたものばかりで、いま結構あせってる。

とりあえずの目標

転職1ヶ月。たぶんしばらくここにいる。

できるだけ多くのもの身につけ、また自分の知識で役に立つものは、少しでもこの職場に広めたい。

当面の目標は、この職場にいる最中の借金をゼロにすることだ。

新しい職場から受け取ったものは、過不足なくきっちり返す。
恩も仇も

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