2005年4月28日

医者が突進しなくなるとき

仕事に慣れたばかりの医者は無茶をしたがる。

医者を始めたばかりの頃、点滴一つ取れない頃は何をやってもお客さんの迷惑になる。採血をすれば相手の腕はアザだらけ。点滴を取ろうとすれば患者さんの顔が恐怖に引きつるのがすぐにわかる。

こんな状態をくぐりぬけて数年、ようやく他人様に迷惑をかけずに手技をこなせるようになった頃、医師はようやく人に対して「いいこと」ができるようになる。それは本来、正しい判断や患者を元気付ける言葉であったりしてもいいのだが、駆け出しの頃はそんな地味な能力など欲しくない。

若い医師にとっては、「唯一自分にできる人助け」が、手術であったり、心カテであったりする。覚えたての手技は、さっさと回数をこなして上手くなりたい。上手になればそれだけ、患者さんを助けることができるようになる。

腕を磨くという部分では医師も職人、カテはしたいし手術もしたい。手術の適応は甘くなり、わざわざ検査しなくてもいいような人にカテを勧めてみたりもする。

職人とはそういうもので、どんな分野の職人であっても、本能的に仕事に向かって突進したがる。ピッチャーは勝負したがるし、大工は大きな家を建てたがる。だからこそ、現場から一歩引いたベテランが、若手のエネルギーをコントロールする。

現場の突進力は危険だし、管理しなくてはいけない。現場が突っ走ることで人が死ぬならなおさらだ。

一方で、現場にこうした勢いがなければ、そもそも現場の仕事は回らない。

病人は放置しておけばいずれ致命的になる。侵襲の大きい手技であっても、やらなくてはならないときにためらったら、患者はどんどん悪くなる。

やたら敬遠したがるピッチャー、暴漢が襲ってくると逃げ出す警察。やたらと突っ込む奴は問題だが、一方で突っ込むのが仕事の職人が突っ込まなくなったら、その職業自体が崩壊する。

病院内でも急患を受けてくれる外科医は減り、救急外来の飛び込み患者はどこの科も取りたがらない。

産科の救急などもってのほか。ほんの数年前までは、お産は「自然現象」。医者同士の会話の中でも、「あれは病気じゃない」という声はまだまだ多かった。いまは緊急のお産は「爆弾処理」。今では病院中の職員が、産科医の悲惨な現状を知っている。みんな同情しながらも、自分達だけはああはなりたくないと真剣に考えている。

無茶をするのが好きな医者がいなくなったら医療はどうなるのだろう?

自分は同世代の中ではかなり臆病なほうで、いまだに診断カテも怖い。穿刺の調子が悪い日など、できることなら逃げたい。

それでも侵襲的な治療をやらせてもらえる機会が巡ってきたら受けるし、自分の守備範囲であれば必要なリスクは受ける準備はある。循環器屋は基本的には単純な奴が多いので、急患が来たら後先考えずに突っ込む。

もっと頭のいい科は、リスクに対する考え方が変わってきている。

転科の交渉をするときにも、患者さんの病気に対する責任の所在をどちらにするか、細かく決めようとする科も増えてきた。同じ内科の中でも、他の専門家に検査を依頼する際、説明用紙には自分達でサインをしなくてはいけないことも多い。

頭のいい人たちは先が見える。循環器屋が「とりあえず、直せば文句もないだろう」と突っ込んでいく中で、他の科には「直しても文句を言われる」時代が見えている。

もちろん循環器疾患の特殊性もある。いまだに何がベストなのかがはっきりしない医学の中で、循環器だけは何が正しくて医者がどこまでできるのか、かなりはっきりした線が出来ている。

それでも、やっていることのリスキーさは他の科に負けてはいない。いくら正しいことをやっても、合併症は一定の確率で生じる。デバイスが進歩し、技術レベルが向上し、治療が安全になればなるほど、心臓の治療も「お産」に近づく。

心筋梗塞の治療は成功して当たり前。失敗したら医療訴訟。
いまはまだそこまでは行っていない。それでも、カテ屋はまだ現状に満足していない。今後も医療の技術は進歩を止めることはなく、医師は自分で自分の首をしめることになる。

ある治療に関して、治療が失敗した時の家族の怒りのエネルギーの総和は、治療の安全性が向上しても変化することはない。
たとえば100人中10人に合併症を生じる治療が進歩し、合併症が100人に1人まで減少したとする。この時同時に、合併症1回あたりの患者の怒りは10倍になり、エネルギーの総和は変わることがない。

昔の医者は、10%の可能性を回避できなかったことを10回詫び、11回目の成功を祈念した。現在の医者は、成功率99%を失敗した者として訴えられ、人生を棒に振る。

治療が合併症必発の時代、治療は危険だったものの、医師と患者との間には信頼関係を作りやすかった。技術が進歩して合併症が減ると、こんどは万が一の可能性に医師への不信が集中する。医師-患者の関係は緊張を増す。

昔のお産は死との戦いだった。産科医の絶え間のない努力の結果、お産は患者さんから見て安全なものになった。産科学の進歩の結果、医者側から見たお産は爆弾処理の様相を呈してきた。

血管内治療のデバイスも改良されてきている。遠からず、カテ屋には産科医を同情するゆとりはなくなるだろう。

そのとき、自分に緊急の患者を受ける勇気が残っているのだろうか?。

コメント

藤山雅行とはこういう人です。
http://www.geocities.jp/fd8reke/fujiyama.htm

最高裁判事の名前は知らずとも、藤山の名前は
ネットに君臨している、と。

しかし、医療に移っても相変わらずですな。

「藤山雅行」「DQN」でググると5300件のヒット…。
どんな人なんでしょう?

横レスすみません。
藤山雅行裁判長って医療訴訟の方に移ったんですかね。
有名な方みたいですが。

災害医療センターといえば、以前に職員の医療過誤に「病院側の管理には落ち度は無い」とのコメントをいち早く発表し、問題を起こしたスタッフを真っ先に切りに行った病院ですよね…。
そういう施設で働くことに対する重圧自体、オペレーターの手元を狂わせる原因だと思うのですが。
バルーンを誤った場所に導いて、というのがどういうケースなのか気になります。LADを拡張する症例で、RCAにバルーンが行ってしまったなどということは無いでしょうが、どの程度のずれをして「誤った」という表現になるのでしょう?

国立東京災害医療センター(現国立病院機構災害医療センター、東京都立川市)で心臓の血管手術を受けた後に死亡した男性=当時(65)=の遺族が、手術ミスが原因として国立病院機構と担当医に計約5900万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は27日、約3700万円の支払いを命じた。

 判決理由で藤山雅行(ふじやま・まさゆき)裁判長は「途中でミスの疑いを認識できたのに手術を続行し、結果として冠動脈が裂けて死亡に至った」と医師の過失と死亡の因果関係を認めた。

 判決によると、男性は2001年8月、心臓血管内でバルーンを拡張させて血流を改善させる手術を受けたが、担当医らがバルーンを誤った場所に導いて膨らませたため、冠動脈から大量出血し、死亡した。
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もう現実化していますね。

若い方へのムンテラ、辛くなりましたよね…。

何とか誰も傷つけない形で、保存された不信のエネルギーを削れないか、技術の進歩が医者も患者も両方とも幸せにできないかとあれこれ思いをめぐらすのですが、いい方法は何も思いつきません。

私の人徳のなさといってしまえば、それだけなのですが…。

 「100人中10人に合併症を生じる治療が進歩し、合併症が100人に1人まで減少したとする。」「現在の医者は、成功率99%を失敗した者として訴えられ、人生を棒に振る。」
という文を読んで、なぜ今と昔でプレッシャーというか、逃げ腰にならざるをえない時があるのか、理由の一つがわかった気がします。
 正直今の30-50代の方を相手にしている時が、一番ツラいです。失敗したらわかってるんだろうなぁオーラがびんびんで。テレビの影響による医療不信だろうかと思ってたのですが、今では安全が普通、コンビニのような便利な医療という感覚が育った年代なのかもしれません。
 むしろ、リスクの高いもっと高齢の方の方が、話をしやすいです。意図していないのでしょうが、お医者様と持ち上げておき、最大限自分の利益をうまく引き出している人が多いような気がします。
 まあ、どの年代にもそれぞれ、いい結果がでるのが当然で、なんで説明を聞いたり、通ったり、リスクを負うような苦労を自分がしなきゃいけないのか理解したくないと考えている方はそれぞれ一定数いらっしゃいますが。

 医療はサービスといいますが、自分には妥協点が未だにどこあたりなのかわからず、仕事以外のストレスがつらいです。

ひらた先生、書き込みありがとうございます。

技術の進歩により安全性が向上した医学分野は、そこで働く人にとっては逆に「万が一」の危険を増してしまうために、結局滅ぶ方向にしか進まないのが問題だと思っています。

何らかの方法で、この「黒いエネルギー保存の法則」を超えられれば、技術の進歩はそこで働く人にも幸せをもたらしてくれるのでしょうが…。法律の力などでこれをやると、今度は治療がうまく行かなかった患者さんの怒りの行き場を提供することができず、結局誰かが不幸になってしまいそうです。

結局、宗教家の力などを借りるしかないのでしょうか?

今後ともよろしくお願いします。

初めまして。いつも、読むのが楽しみです。旧サイトの時から読んでいましたが、途中で消えてしまい、残念に思ってたところ、ひょんなことから、ここにたどりつきました。
さて、今日のコメントも冴えていますね。なるほど、先端医療技術の行き着く先は先は「産科」とは、そのとうりですね。結局、リスクを伴う、検査、治療手段からは自分を守るためには遠ざかったほうがいいのかもしれませんね。かくいう私も某外科系の科から、リスクのより少ないと思われる内科系の科に昨年転科したばかりです。
先生の考えは共感するところが多く、科は違えども似たような研修だったんじゃないかと思います。私も場末の民間病院を医局の命令で16年転々としてきました。(先生も同じような年代じゃないですか?)今は大学を離れフリーの勤務医です。

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