2005年4月28日

医者が突進しなくなるとき

仕事に慣れたばかりの医者は無茶をしたがる。

医者を始めたばかりの頃、点滴一つ取れない頃は何をやってもお客さんの迷惑になる。採血をすれば相手の腕はアザだらけ。点滴を取ろうとすれば患者さんの顔が恐怖に引きつるのがすぐにわかる。

こんな状態をくぐりぬけて数年、ようやく他人様に迷惑をかけずに手技をこなせるようになった頃、医師はようやく人に対して「いいこと」ができるようになる。それは本来、正しい判断や患者を元気付ける言葉であったりしてもいいのだが、駆け出しの頃はそんな地味な能力など欲しくない。

若い医師にとっては、「唯一自分にできる人助け」が、手術であったり、心カテであったりする。覚えたての手技は、さっさと回数をこなして上手くなりたい。上手になればそれだけ、患者さんを助けることができるようになる。

腕を磨くという部分では医師も職人、カテはしたいし手術もしたい。手術の適応は甘くなり、わざわざ検査しなくてもいいような人にカテを勧めてみたりもする。

職人とはそういうもので、どんな分野の職人であっても、本能的に仕事に向かって突進したがる。ピッチャーは勝負したがるし、大工は大きな家を建てたがる。だからこそ、現場から一歩引いたベテランが、若手のエネルギーをコントロールする。

現場の突進力は危険だし、管理しなくてはいけない。現場が突っ走ることで人が死ぬならなおさらだ。

一方で、現場にこうした勢いがなければ、そもそも現場の仕事は回らない。

病人は放置しておけばいずれ致命的になる。侵襲の大きい手技であっても、やらなくてはならないときにためらったら、患者はどんどん悪くなる。

やたら敬遠したがるピッチャー、暴漢が襲ってくると逃げ出す警察。やたらと突っ込む奴は問題だが、一方で突っ込むのが仕事の職人が突っ込まなくなったら、その職業自体が崩壊する。

病院内でも急患を受けてくれる外科医は減り、救急外来の飛び込み患者はどこの科も取りたがらない。

産科の救急などもってのほか。ほんの数年前までは、お産は「自然現象」。医者同士の会話の中でも、「あれは病気じゃない」という声はまだまだ多かった。いまは緊急のお産は「爆弾処理」。今では病院中の職員が、産科医の悲惨な現状を知っている。みんな同情しながらも、自分達だけはああはなりたくないと真剣に考えている。

無茶をするのが好きな医者がいなくなったら医療はどうなるのだろう?

自分は同世代の中ではかなり臆病なほうで、いまだに診断カテも怖い。穿刺の調子が悪い日など、できることなら逃げたい。

それでも侵襲的な治療をやらせてもらえる機会が巡ってきたら受けるし、自分の守備範囲であれば必要なリスクは受ける準備はある。循環器屋は基本的には単純な奴が多いので、急患が来たら後先考えずに突っ込む。

もっと頭のいい科は、リスクに対する考え方が変わってきている。

転科の交渉をするときにも、患者さんの病気に対する責任の所在をどちらにするか、細かく決めようとする科も増えてきた。同じ内科の中でも、他の専門家に検査を依頼する際、説明用紙には自分達でサインをしなくてはいけないことも多い。

頭のいい人たちは先が見える。循環器屋が「とりあえず、直せば文句もないだろう」と突っ込んでいく中で、他の科には「直しても文句を言われる」時代が見えている。

もちろん循環器疾患の特殊性もある。いまだに何がベストなのかがはっきりしない医学の中で、循環器だけは何が正しくて医者がどこまでできるのか、かなりはっきりした線が出来ている。

それでも、やっていることのリスキーさは他の科に負けてはいない。いくら正しいことをやっても、合併症は一定の確率で生じる。デバイスが進歩し、技術レベルが向上し、治療が安全になればなるほど、心臓の治療も「お産」に近づく。

心筋梗塞の治療は成功して当たり前。失敗したら医療訴訟。
いまはまだそこまでは行っていない。それでも、カテ屋はまだ現状に満足していない。今後も医療の技術は進歩を止めることはなく、医師は自分で自分の首をしめることになる。

ある治療に関して、治療が失敗した時の家族の怒りのエネルギーの総和は、治療の安全性が向上しても変化することはない。
たとえば100人中10人に合併症を生じる治療が進歩し、合併症が100人に1人まで減少したとする。この時同時に、合併症1回あたりの患者の怒りは10倍になり、エネルギーの総和は変わることがない。

昔の医者は、10%の可能性を回避できなかったことを10回詫び、11回目の成功を祈念した。現在の医者は、成功率99%を失敗した者として訴えられ、人生を棒に振る。

治療が合併症必発の時代、治療は危険だったものの、医師と患者との間には信頼関係を作りやすかった。技術が進歩して合併症が減ると、こんどは万が一の可能性に医師への不信が集中する。医師-患者の関係は緊張を増す。

昔のお産は死との戦いだった。産科医の絶え間のない努力の結果、お産は患者さんから見て安全なものになった。産科学の進歩の結果、医者側から見たお産は爆弾処理の様相を呈してきた。

血管内治療のデバイスも改良されてきている。遠からず、カテ屋には産科医を同情するゆとりはなくなるだろう。

そのとき、自分に緊急の患者を受ける勇気が残っているのだろうか?。

2005年4月27日

某ブランド病院の研修医のこと

1年目の研修医の頃。

何かの機会に、当院に循環器の大家の先生が講演に来て下さったときのこと。

聖○加国際病院に関係のある方だったからか、同じく1年目ぐらいの聖路加の研修医が、当院までその講演を聞きに来た。

他の病院の研修医に会うのは初めて。

こちらは野郎ばっかり。前をはだけた白衣の下は手術着。白衣に飛んだ血しぶきもそのまま。当時は今以上にバカだったから、みんなこれがカッコいいスタイルだと信じてた。

聖○加からきた研修医は、長い髪の女医さん。わざわざSt.Lukeと肩に刺繍の入った白衣を持ってくる気合の入れよう。全身から「こいつらと同じ空気を吸いたくない」オーラを全身から発しているのが伝わってきた。

講演会の間中、当方らとはもちろん口をきくわけもなく、講師の先生にわざわざ英語で質問をしてから病院を後にしたのを覚えている。

何だあいつ、スカしやがって!

わざわざ白衣持ってきて、何様?

彼女が去った後は罵倒の嵐。こういうのを負け犬の遠吠えという。

まだインターネットも2ちゃんねるもない、大学から外に出ると他の病院の情報など全く入ってこない時代。自分を支えてくれるのは過剰な自意識ばかり。みんな意味もなくブランド病院に対抗意識を燃やし、「とにかくあの聖○加野郎にだけは負けたくない」という気力でその後の研鑚に励んだのも今は昔。

その後自分も年齢を重ね、聖○加の研修医のその後も決して楽ではないと分かったり、実際に聖○加の先生からいろいろものを習う機会もあったり。だんだんと件の病院に対する反抗心もなくなっていったが、聖○加のマニュアル本を見ると今でも当時のことを思い出す。

病院のブランドを維持する苦労とブランドを追いかける苦労。ブランド病院に縁のない当方には前者の苦労は想像するすべもないが…。当時の○路加の先生、実際のところ我々の汚い格好を見てどう思ったんだろうか?

あのときの汚い生き物を見るかのような彼女の視線、聖○加の研修医特有(N=1)の周囲をさげすむようなオーラは、当時のわれわれの被害妄想だけではないような気がするのだが…?。

2005年4月26日

病院のライフサイクル

救急を取る病院がまだまだ少なかった時代。

地域の基幹病院は県立病院しかなく、救急車で30分。救急の対応も今ひとつ。地域に「住民のための」新しい病院への欲求が高まった頃、200床程度の規模でその病院は開院した。

開院したての病院には何もない。とりあえず形だけは病院になっていても、外来の棚の中は空っぽ。買ったばかりの備品は全てダンボールの中。事務にも看護にも何のノウハウもない。場所によっては、誰かが梱包をあけて棚に備品を並べてくれていたりするが、どれもビニールがかかったまま。洗面台の水も、妙にシンナー臭い。

新しい病院を立ち上げる仕事は楽しい。医師の派遣元にも十分な人手はいないので、医師は交代でその病院に出張する。

新しい病院に、新しい町。医局の引継ぎノートには、新しく作った約束処方、買った備品のありか、地元に詳しい事務の人の名前や電場番号、近所のコンビニの場所などが記載されていく。遊びに行くにもどこにいっていいのかすら分からないので、医局の冷蔵庫には魚肉ソーセージと酒の瓶。毎晩野郎同士の飲み会。

立ち上げ当初は、食事も宿泊も全て病院内。3食を病院でまかなうと、2週間もすると飽きてくる。医局に周辺の出前リストがそろう頃には、外来にもだんだんと患者さんが増えてくる。

まず集まるのは、「主訴:腰痛」の整形外科の患者さん。理学療法室の常連を徐々に増やしていく中で、高血圧の人、咳のひどい人などを外科(最初は内科はいなかった)に紹介して、外来の人数はだんだんと増えていく。

そのうち、軽症の交通外傷の患者さんなどが救急車で紹介される。病院にも、若い患者さんが増える。もともとの設立の動機は「地元のための」病院。病棟はきれいで、居丈高な公立病院のようなことはせず、時間外でも笑顔で診察。

開院2年もすると、待合室には若い人(40-60台)が増え、活気を帯びてくる。外科、内科とも常勤のドクターが増える。スタッフの数が充実すると、皆もっと高度なことがやりたくなる。

「24時間救急を取ろう」「研修医を育てよう」スタッフが若ければ、気合だけで施設が充実する。病院で行うことは徐々に高度になり、救急車の数も増える。

「あの病院はよくやってくれる」。地域の信頼が集まると、もっと若い患者さんが通院するようになる。病院はだんだんと忙しくなる。患者さんの年齢層の変化に合わせ、皮膚科や耳鼻科といった、若い患者さんが得意な科も充実してくる。

特に眼科が入ると病院の経営にはプラスになる。白内障の手術の得意な眼科医は、内科医3人分の収益を一人で稼ぎ出す。黒字科が増えることで、病院にはもっと大規模な設備を導入する機運が高まる。

「カテ室を作ろう」。開院8年目、常勤できてくれる循環器のドクターも決まり、循環器外来が始まる。患者さんの数はますます増え、救急外来にも救急車の音が毎日鳴り響く。

こうして病院は、名実共に地域の基幹病院になっていく。

雲行きが怪しくなるのは10年目頃。10年もすると、町にも高齢者の数は増えてくる。救急外来に来る患者さんも、外傷や脳出血、急性腹症といった年齢層の若い救急患者だけでなく、転倒による大腿骨骨折、近所の老健からの誤嚥性肺炎の紹介といった人が目立つようになる。

病棟の業務内容は変わる。夜間に不隠になる患者さんが増え、重症患者のための個室は、いつのまにか不隠部屋になってしまう。重症の患者さんは大部屋。徘徊する元気のある人は個室。不隠の強い高齢者はなかなか退院しないので、元気な患者さんの個室への移動希望はかなわなくなる。病院へのクレームが増える。

「四肢抑制」「不隠時セレネース静注」、今までは書かれることのなかった指示が指示簿に当たり前のように記載されるようになった頃、日中のナースルームは不隠の強い高齢者であふれ返り、医師は高齢者の相手をしながらカルテを書く。かつてラクテックがぶら下がっていた点滴台には、経管栄養のバッグが目立つ。PNツインもまだ棚には置いてあるが、滅菌期限寸前でほこりをかぶったまま。

病院が止めを刺されたのは、近所に新しい老健が出来てから。「○○病医がすぐそば」を宣伝文句にして人を集めたその施設は、嘱託の医者が帰る5時以降になると患者をどんどん連れてくる。少しでも熱が上がると、「うちでは見られません」「入院させてください」の一点張り。

もともと「24時間、患者さんを断ることはしません」との宣言を出していた病院だった。その宣言は、病院とは縁もゆかりもない業者に美味しく利用される。外来には車椅子に寝巻きで来院する年寄りが増え、以前から通院していた若い人は外来を去る。

地元の評判は、地域の基幹病院から、「あの汚い病院」にいつのまにか変わっていた。

この頃、夜中によく来る喘息のお姉さんに「今度、午前中の私の外来に来てください」とお願いしたことがある。「私は○○病院にかかっているので、ここはちょっと…」と、マスコミによく出る施設の名前を出された。

市民のための病院。市民階級はこの病院を見放し、ここはいつのまにか賎民のための病院に変わっていたらしい。

病棟の業務はますます変わる。病棟はもはや、行き場のない高齢者でいっぱい。若い人の肺炎や喘息といった病気は外来で何とか診るしかない。病棟業務は連日の転院先探し。患者さんもご家族も、「一生ここにいさせてください」と願う人がほとんど。やっとの思いで転院させても、2週間もすると37度の発熱で救急車で帰ってくる。もう二度と転院するものか、という気合と共に。

患者層の変化と共に循環器や手術の症例も減る。病棟ナースにも離職者が相次ぐ頃、医師もいなくなり、病院は慢性期疾患を細々と診るだけの施設へと変貌した。

もはや救急疾患は搬送されることなく、地域の若い人たちはもっと新しい病院へ。「あの病院に行くと死ぬ」。こんな評判が地元に立つ頃、病院は死に体になった。

なにも間違ったことはしていないつもりだった。より高度な医療サービス。より簡単なアクセス。地域の医療需要に応えつづけた結果、病院は地域から見放された。

自己の進化の果てに、病院組織は崩壊する。

より広い需要に応えたい。より高度な医療をしたい。患者さんのための医療をしたい。力をつけようと努力し、進化を続けた結果、「強い」病院にはより弱い立場の患者、慢性疾患の末期の人、行き場のない高齢者が集中するようになった。

本来病院を頼りにしていた若い患者、もう少し元気のいい患者さんは、病院を選択する余地がある。救急以外では、もうこの病院にかからなくても大丈夫。規模は小さくてもきれいな病院、遠くても名前の売れている病院に患者さんは去っていき、地域の基幹病院は見放される。

90年代に救急外来を一生懸命やっていた民間病院の大半は老人病院化し、急性期疾患を搬送する救急車は、以前は急患を断っていた市立病院や日赤病院に集まるようになった。そして現在、そうした病院すらもだんだんとベッドが回らなくなり、一昔前なら救急車が素通りしていた大学病院にも、寝たきりの高齢者が搬送されるようになっている。

今の病院の状態は、恐竜絶滅寸前の時代によく似ている。爬虫類全盛の時代、さまざまな大きさの恐竜が覇を競い合った後、気候の変化とともに体の大きな恐竜しか生き残れなくなったのが現在の状況だ。市中病院が高機能化し、救急外来を充実させて「恐竜」化する一方、「恐竜」化した大手市中病院は、進化の果てに絶滅しようとしている。

その影で数を増やしているのは、小さな哺乳動物に当たる小規模病院や、老健業者。気候の変化にともない元気がなくなる恐竜達を尻目に、誕生したばかりの哺乳類はきれいな施設、専門特化した医療技術を武器にその勢力を増している。

時代は変わる。恐竜が闊歩していた時代は去ったあとは、小型ですばしこい哺乳動物の時代が来る。医療の無駄は減り、効率のいい医療、効率のいい経営が実現できるようになる。

問題なのは「恐竜」クラスの力がないとどうしようもない患者さんはいつの時代にも存在することで、哺乳動物を目指した施設は、最初からそうした人を相手にする意思は無い。

恐竜->小型哺乳類への主役の交代は、すでに小児科、産科の領域では確実に進行している。産科のいない市は、もはや珍しくなくなった。

一連の流れは進化の果て。誰もがいい医療を受けたい。どこがいい病院なのか知りたい。恐竜だって絶滅したくて進化したわけじゃない。医者だって絶滅する恐竜と心中したくはない。結果として哺乳類が生まれ、「食べられない」患者は見捨てられる。

病院。患者。マスコミ。

誰かが悪くてこうなったというわけではないと思う。

2005年4月20日

共同作業を達成する能力

一般内科医は、患者さんの問題点を「系」で考える。入院のきっかけになった問題は、必ず次の問題を引き起こす。内科医は、脳梗塞になった患者さんなら誤嚥性肺炎や脱水を心配し、心筋梗塞で入院した人ならば、今度は合併する腎不全や心不全に思いをはせる。

入院した時点での患者さんの問題点はひとつであることが多いのだが、忙しい病院ほど先を読んでいかないと、合併症でドツボにはまる。

医師は専門性が高まるほど、患者さんの問題点を「点」で考える。専門家は自分の専門領域でベストを尽くす。専門領域の治療に全力を投入すれば、問題点が自分の領域を越える前に治療は完了する。全身の合併症を生じるようなら、あとは一般内科に任せる。こうした姿勢は専門家としては全く正しい。

一般屋が「負けた」ときのことを考えながら治療プランを練る一方、専門家はその問題が大きくなる前に状況を駆け抜けることを考える。一般内科と専門家とがお互いの立場を理解しあい、患者さんの同じ問題を、別の立場からアプローチしあえば、理想的な共同作業が実現できる。

現場はこんなに上手くはいかない。

一般内科は高齢化した患者さんを老健に紹介するので手一杯。専門科から回って来た患者さんを診る余裕はなく、「糖尿病ぐらい、そちらで診てくれませんか?」などと、専門家に一般内科の仕事を求めてしまう。専門家は持ち前の足の速さを失い、患者さんには合併症が生じる。

売り言葉には買い言葉。一般内科から患者さんの紹介を受けたとき、「その患者さんについて自分の領域で何が出来るのか」を考えてくれるのが、本来の専門家の役割。だが、雰囲気の悪くなった病棟では、「その患者さんは、当科では受けかねます」とまるで公務員のような答えが返される。共同作業は破綻し、残るのは患者さんの押し付け合いだけになる。


前に勤めていた病院には、「内科の言葉で会話する」歯科口腔外科の先生がいた。

歯科の先生が心カテをしたり、CTを読影したりするわけではないのだが、なんというか、内科の「ノリ」というものをよく理解してくださる方だった。

相談するのは患者さんの「歯」の問題だけなのだが、歯の治療をして下さるだけではなかった。その人に歯を入れることでどういった効果が期待できるのか、会話や食欲への影響、本人の意欲や体力、管理能力などを考慮して治療方針を提案される。場合によっては「歯を全部抜く」という選択肢もあり、口腔内の清潔や誤嚥の問題、果ては全抜歯後の誤嚥性肺炎の合併の低下といった論文を教えてくれたりした。

あくまでも「歯」の専門家であるというスタンスは崩さず、治療の全体の流れは主治医である内科に口を挟むことは決してなかったが、その先生は歯を通じてたしかに全身を見ていた。

共同作業を円滑に行う能力というのは、何かの問題点に対して、自分達の側から以外に、相手の側から見ることができる能力なのだと思う。

問題点に関する知識を持つのと、問題点を違った立場から見ることが出来るのとはよく似てはいるが完全にイコールではない。

例えば自分が医療過誤について考えていたとき、工場の管理をしている方とそんな話題になったときは、シックスシグマなどという話題を教えていただいた。交渉ごとのテクニックについて悩んでいたとき、糖尿病で入院していたテキ屋のおじいさんから手ほどきをうけたこともある。

「共同作業」などと胸を張って言えるようなレベルのものではないが、立場は全く違っていても、両方の「専門家」はこちらの問題点を自分の立場から理解してくださり、短時間で自分の求めていた「正解」を教えてくれた。

自分のような一般内科崩れが大きな病院でやっていく上では、他科との共同作業は欠かせない。こうした相手の立場からものを見る能力はとても大事なものなのだと思うのだが、最近は状況が違ってきている。

大学病院のような場所でさえも病棟は行き場のない高齢者であふれ、たとえ専門家が神速の治療を実現しても家族は「もっと置いてくれ」の一点張り。あまつさえ「主訴:入院希望」の患者さんが夜中に救急車で来院することも珍しくなくなってきた。

こうなってしまうと、内科に求められる専門性とは「この人、うちで引き取ります」の返答のみ。共同作業は再び壮絶な押し付け合いに回帰する。

もう一般内科をやる時代ではないのかもしれない。

2005年4月19日

専門外の治療は楽しい

自分の専門領域は一応循環器だが、趣味(?)でいろいろな科の話題に首を突っ込む。

血液ガスの解釈、人工呼吸器の管理、電解質以上の管理や補正。最近では慢性疼痛の治療など。

専門領域以外の話題に口を挟むのは楽しい。上級生の特権で、下級生の「専門家」(様々な科にいる)も、こちらの話題にしぶしぶ付き合ってくれる。上司が素人カラオケを無理に聞かせるようなものだ。

素人の意見は面白い。専門家の治療手段は保守的で古臭く、意見を聞いても「驚き」がない。門外漢である自分のほうが、その専門家よりもよっぽど新鮮な意見を提出できる。素人が専門家と話していると、「この人、本当に勉強してるの?」といった気分になることすらある。

実際にはもちろんそんなことはないのだが、自称「専門家以上の素人」が出現するのは、素人と専門家との勉強に対する考え方の違いによる。

成功率7割の治療手段が発表されたとして、7割に効果があると喜ぶのが素人。3割も失敗する人がいると悲しむのが専門家。

専門家の知と素人の知との違いは、前者が帰納法的な知であるのに対して、後者が演繹法的な知であることだ。

素人は演繹法を好む。理論と理論とを掛け合わせ、新しい考え方を思いついたら即MedLineを検索。1例報告で同じような思想の成功例を見つけたら、すぐ臨床応用を進言。まわりの人間はまだ誰も知らない方法。周囲は驚き、そのアイデアが成功すると、その素人は賞賛される。

専門家はそうは行かない。自分の意見は、「専門科」の意見だ。間違ったことを口にするのは許されない。素人のヨタ話と、専門家の意見とを分けるのは自分で積み重ねてきた症例の差だ。

専門家は、やってみたけれど効果のなかった症例を、自分のうちに積み重ねている。無効例、失敗症例は蓄積される。専門家の意見は暗くてつまらないものになる。専門家が推薦する方法論は「固い」もの、成功した症例をいくつも重ね、本当に効果が実感できたものしか推薦できない。

帰納的な思考方法は保守的になる。最近の医者に対するバッシングの嵐の中、専門家が新しい治療を提案することはますます難しくなっている。思考を進歩させる機会は臨床の現場からは失われ、固い治療、ガイドラインに乗っ取った治療を推薦するだけの専門家が増えてきた。

学会での定説、ガイドラインを墨守することが目的化してしまった専門家は、新しい意見、素人のヨタ話を「専門家の見地から」批判するようになる。その専門性は新しい方法論を批判すること、その領域の権威を賛美することに発揮されるようになる。そうなると、もはやその人に進歩は望めない。

技術者は、進歩を指向しなくなったら終わる。昔の先生は偉かったなんて言ってる暇はない。

2005年4月18日

臨床研修初日

研修医の祈り

急患当番の命を受けたとき
神よ何回眠れぬ夜を越そうとも
倒れず働く強靱な生命力を与え給え

救急外来から手術室まで
急変の恐怖から私を救い出すパワーを与え給え

婦長の叫びも聞き流し
上司の怒りの炎を消し去る力を与え給え

私は天職に従い生命の全てを賭け
平穏な研修生活を守りたい

そしてもし神よあなたの意志に従い
私達が叱責されるときは
私とその仲間に
あなたの慈悲を与え給え
エーメン






俺の鎖はぴっかぴか
内科部長が下さった
沢山働いたご褒美に
この足に嵌めてくださった

部長会議の集まりで
ご主人様は上機嫌
うちの研修医はよく働くと
ほめてくださる晴れがましさよ

俺の鎖はぴっかぴか
内科部長が下さった
もっと働けばご褒美に
首にも嵌めてくださるそうだ





今日から当院は研修初日。
皆さん、頑張ってください。

2005年4月17日

夢には条件なんて関係ない

某外科に患者の手術を断られた。

「ガイドラインでは、このステージに手術を行っても予後改善の効果は見られないので、手術の適応にはならないと思います」だと。

「条件が悪いから手術ができない。やっても意味がない。」そんなことは無い。

夢とは「だから」見るものではなく、「にもかかわらず」見るものだ。(ミヒャエル・エンデ)

外科医の仕事は手術をすることだ。

手術すれば直る」。古臭い考え方だが今でも通用する、病院を頼ってくる人たちの共通の夢だ。どんなに困難な状況であっても、夢を見る資格を持っている人であれば、いくらでも夢は見られる。

外科医の仕事は、患者の夢を受けとめ、夢を実現し、まだ病院を信じられない多くの病人に夢を見る勇気を与えることだ。

患者の夢が実現可能なものなのか、あるいは単なる妄想に過ぎないのかは、患者自身で決定することはできない。

確実なのは、夢を託された相手が実行するつもりの無い夢は、単なる妄想で終わってしまういうことだ。

適応のない手術を行うのは馬鹿。ガイドラインを外した治療を行う奴は無知。
外科を取り巻く状況は、年を追うごとに悪化している。

困難な状況だから手術をしない。理性的な選択だ。でもそれは外科医のとるべき道じゃない。外科医の返事はこうあるべきだ。

困難な状況だ。勝てないかもしれない。だからこそ、手術をしよう。
自分が研修医の頃、「CTやエコーがどういう所見を示そうが、手術の適応を決めるのは僕の指先だ。」断言した外科医がいた。救急外来の重症患者をどの科が取るかで医局が混乱した際、救急外来の壁に「全身管理は本来、外科医の仕事である」と書いた紙を打ち付けた外科医がいた。あれは絶対、マルチン・ルターを意識していた。

乱暴な意見、蛮勇を振るいすぎた態度。過激な意見を吐く医者には敵も多い。外科医の意見に誰もが賛成するわけじゃない。

それでも、いざというときに逃げない外科には他科の信頼が集まる。外科医は胸を張って廊下の真中を歩き、他科の医者も外科には道を譲る。

外科は夢を受け止める仕事。夢を実現させる仕事。失敗もあるが、奇跡を作るのは外科医にのみ許された行為。奇跡がおきるのはいつだって手術室だ。

勇気ある撤退?科をまたいだ意見の交換?エビデンスに基づいた手術の適応?

悪いことじゃない。そんな外科医がいたってかまわない。でも、患者の夢を現実に折り合わせるのは外科医本来の仕事ではない。

少なくとも、そんな外科医は廊下の真中を歩くべきじゃない。

2005年4月14日

トラッカーになろう

軍の特殊部隊などのチームは、各々が分担する役割が違う。

コマンダー:チームのリーダー。通信機器も携行する。
ブレイカー:ドアブリーチャーなどとも呼ばれる。突入の際のドアの破壊を担当。
シューター:突入要員。基本的にすべてのチーム員はシューターである。
EODスペシャリスト:爆発物の処理にあたる。
スナイパー:屋外に配置され狙撃を行う。

病棟に配属されたばかりの新人は、現場で働く医師集団の働きぶりに驚く。

自分の実力ではあの人たちのように働けるわけが無い。「チーム」の中には自分の居場所は無い。自分などいないほうが、チームの仕事ははかどるのではないかと思う。

新人の中には、配属されていきなり突入要員として活躍できる奴もまれにいる。だがほとんどの新人にはそんなことは出来はしない。

そうした新人でもチームの一員として参加でき、また他のチーム要員からその仕事ぶりを感謝される役割が存在する。トラッカーである。

トラッカーという言葉は、軍の特殊部隊の中では追跡の専門家のことを指す。ここでは、情報収集係といった意味でこの言葉を使っている。

トラッカーはチームの全体像を見渡しながら、臨床の現場で入ってくるあらゆる情報を収集し、それをカルテに記録して整理し、いつでも再利用できるようにする作業を行う。

トラッキングは非常に重要でありながら、現場で突入役をやっている人間には遂行するのは難しい。

現場仕事になれた人間は、突っ込むのは得意でも振り返るのは不得手になっていく。ついつい記録はいいかげんになる。突入役は、前にうまくいったときはどうやっていたのか思い出さないままに次の仕事にとりかかり、無駄な業務の重複や失敗を生じてしまう。

研修医は優秀なトラッカーになれる。現場仕事に接する経験が少ないからこそ、偏見無く記録を書ける。トラッカーは単なる記録係ではなく、チームが前進するための推進力を作り出すための仕事でもある。

上司が悩んでいるときに、「先生、○○さんの時はこうしてましたよ」と言ってもらえると、実はとてもありがたかったりする。下級生にこんなことを指摘されれば確かにむかつく。だが冷静に考えれば、その意見を言ったのは過去の自分だ。その進言は非常に参考になり、思考の遠回りを避けることが出来る。研修医の記録能力が信用に足るものであると自覚できるようになると、チームは後の憂い無く突っ走ることが出来る。優秀なトラッカーがチームにいてくれると、チームの仕事の能力はますます向上する。

記録を行う際、以下のような部分に注意。

偏見無く黙って記録する

特に研修期間を終え、他の病院に移った際にこれを忘れる。前の病院と違う治療方針、違う考え方を見ると、とくに「優秀」といわれている研修病院から来た奴ほど今の施設の考え方を「改良」しようとする。新人がこれをやってもむかつかれるだけ。チームの雰囲気は悪くなり、チームを突っ走らせるトラッカーとしての存在意義もなくなってしまう。

間違って見える方法は、自分が間違っているように見えるだけで結構うまくいくのかもしれない。
間違っている方法をうまく働かせる代償機構が、その施設に存在するのかもしれない。

偏見無く記録すれば、こうした部分を学べる。最初から方針を変えさせようとすれば、全てが台無しになる。就職してから現場になじむまでの間は、黙ってひたすら記録する。

知識を得た時の状況も記録する

研修医の大事な能力のひとつは、いつでも上級生の記憶の引出しを開けて見せることだ。

上級生の記憶というのはいいかげんなもので、自分で教えておいて、1週間もすればそのことを忘れる。あとからなぜそうなのかを確認しようにも、「俺、そんなこと言ったっけ?」などと逆に聞かれるのがオチだ。

例えば「ショック患者にはとりあえずラクテック全開」という知識を教えてもらったときは、メモに書くときに日時と状況とを一緒に書く。例えばこんな風に書いておく。

ショック患者にはとりあえずラクテック全開。○月○日。○○先生。○○さんがERでCPRになったとき。

後から上級生となじんだとき、メモを見直して「先生、○○さんのCPR の時、なんでラクテックだったんですか?」などと聞いてみる。

「ショックだから」とだけ応える上級生もいるかもしれないが、たいていの上級生は、もう少しいろいろなことを語り始める。そのとき何を考え、何を意図してそうした方法論をとったのか、他にどういった選択肢が考えられたのか。

記憶の引出しを他人に引っ張ってもらうのは、結構気分がいい。「こいつは自分の話を聞いてくれている」という思いがあると、余計に親切に話しはじめるものだ。

知識と状況を一緒に記録しておくことで、実践的な知識の習得と、記録の仕事とを別々の時間に行える。現場の空気を共有した人間同士なら、そのときの空気は文字に記録できる。何も言わずに黙って記録だけしていても、優秀なトラッカーは、後から議論の主役になることが出来る。


優秀な追跡者に大切なものは、まずは足と耳。物事をまとめる能力は、後から気合で身につける。

常に現場に赴き、現場の中心の患者さんの生の声を聞き、上級生のお喋りに耳をそばだてると、研修医はきっと早く成長できると思う。

続きを読む "トラッカーになろう"

2005年4月13日

二元論的世界観

全く新しい世界に放り込まれた人間は、その世界の中で何が正しくて、何が間違っているのかを判定する能力を持っていない。

何かを判断するためには基準となるものが必要になる。

基準というのは自分の知識や経験の蓄積である場合がほとんどなのだが、例えば研修医や、大学から一般病院に派遣された新人医師といった連中には、こうした経験の蓄積は全くといっていいほどない。いくら医学知識を持っていても、また大学病院で積んだ経験をもっていても、新しい世界の中ではそんなものは役に立たない。

知識というのは、その状況に応じて配列されて、初めて役に立つ。

頭の中の知識を環境に合わせて再配列するのには時間がかかる。いきなり新しい環境に放り込まれても、今までの経験則で動けば上司の叱責が飛ぶ。最初のうちは今まで蓄積してきた知識や経験に対する信頼は壊れ、自分はこの1年何をやっていたのだろうと落ち込む。

そのうち新しい環境に慣れ、その世界の一員として周囲に認知される頃になると、ようやく知識の再配列が完了する。過去の知識はまた何かの形で自分を助けてくれるようになり、自分の経験に対する信頼も復活する。自分の経験(n=1)では、1年目=>2年目(離島)がだいたい2ヶ月。4年目=>5年目(大学)がだいたい2ヶ月、7年目=>8年目(外病院)が1週間というところだった。

世の中を判断する基準が無い間は、他の人の意見を基準にするしかない。自分が今いる世界はどんな形で成り立っているのか、どんなルールが存在するのかは、前からそこにいる人に聞くしかない。

ところがこの世界の成り立ち、ルールといったものを新人に説明するのは非常に面倒くさい。自分にとっては当たり前のことを他人に分かりやすく伝えるのは難しい。特にそれが、「不足なく正確に、偏見無く」といった条件がつくとなおさらだ。

物事を正確に伝えようとすると、情報の量は膨大になり、つまらなくなる。新人に世の中の成り立ちを全て教えようとしても、その話はとてつもなくつまらないものになり、聞くほうも話すほうも苦痛でしかなくなる。世界のルールは簡単に、面白おかしく伝えたい。このとき便利なのが、2元論的世界観だ。

「世の中には敵と味方、正しいことと間違っていることとの2種類しかない。その判断の基準は私(上級生)。」
2元論は、世界を分かりやすく表現できる。

こうした考え方は実世界を簡略化しすぎているのだが、分かりやすいために教育の現場で多用される。

教えるほうも、本当の世界は2元論だけでは説明しきれないと分かっていなくてはならないのだが、ずっと敵味方の教育を続けていると、そのうち自分で自分の言っていることを正しいと信じるようになる。

長い間2元論的な思考に毒されると、いろいろとよくないことがおこる。

新しい世界に入ってきた人間は成長する。2元論的な価値観で染められた新人も、慣れてくると自分なりに経験を蓄積する。そのうち判断の主体は上司の評価から自分自身へと移り、敵と味方しかいなかった世界は統合され、自分の価値観で何が正しいのかを判断できるようになる。

2元論に毒された人間は、常に「敵」の側に対して否定的になる。

物事を勝ち負け考えてしまい、100%の勝利でなければ満足できなくなる。

8割勝利、2割負けといった状況があったとすると、2元論の呪縛の外にいる人間はこの結果を額面どおりに受け取る。一方2元論者は2割の負けのほうだけを後悔する。
いつも自分は負け組みに入っているような気分から抜けられなくなる。

幸福感は歪む。自分の勝利を認識するには、必ず負けた人間が必要になる。他人が負ける様をみることを通じてしか、自分の幸福を認識することができなくなる。

世界は自分の敵にまわる。バカにされるのは、死ぬのと同じ。相手から舐められたら負け。いつも臨戦態勢。他人の行動、部下の行動、何を見ても相手を誉めることが難しくなる。良いところより、批判することにのみ意識が向く。

2元論という暗示の外に出るのは難しい。勝ち負けという相対的な価値観を捨てるには、個人の中に物事を評価する基準を作らなくてはならない。一方で2元論者は自分自身の価値観に全く自信が持てないので、自分自身の価値観で物事を評価することができない。

これは理想化した自分自身と追いかけっこをして、自分で自分を追い抜けといわれているようなもので、実際のところ不可能に近い。2元論者は自分に負けつづけ、今日ものた打ち回る。

研修医を終えて数年、下級生を教えたりする立場になってからこの世界観のドツボにはまり、かれこれ6年近く。

もっとうまくやっている同級生、自分自身との折り合いをうまくつけている「大人」を見るにつれ、昔は自分もそうなりたいと思い、うらやましく思えたが、あきらめた。

何かに妥協することで得られる安寧など欲しくない。まだまだ老成なんかしたくない。

大人は「敵」だ。いつか追い抜く。

2005年4月12日

共通の敵をつくる

大きな問題、マンパワーを喰う問題を解決するのは個人の力では限界がある。専門家集団によるチームは、思考のパワー、アイデアの豊富さといった部分では、個人とは比較にならない力を持っている。

専門家集団による治療はすばらしい。大学病院級の施設には、ほとんど全ての疾患に対する専門家がそろっている。数は力だ。何かの問題を解決しなくてはならない場合、一人で考えるよりも、多人数で考えたほうがより正解に近い解答が出せる。専門家によるチームでは、患者さんに何の問題が生じても、その対策方法が瞬時に示される。うまく運営されたチームならば、議論にかかる時間は一瞬だ。

一方で、多数の専門家の集団は、一人の患者さんという個人の問題を解決するには、あまりに強力すぎる。公園で砂山を作るのに、シャベルではなく重機を持ち出してくるようなところがある。

多人数で議論して得た治療方針は、しばしば「センス」が感じられないものになる。検査の回数は増え、治療方針の決定のプロセスは複雑になる。患者さんに眠剤ひとつ出すのにも複数の意思の決定を経ないといけなくなり、そんな瑣末なことにも意見の対立を生じたりする。

集団の中での対立があると最悪だ。誰も責任は取りたくないが、旗は振りたい。自分の専門領域に対して他科から余計なおせっかいは受けたくない。必要な検査を行おうにも、肝心のその科がつむじを曲げると話が前に進まない。自分達としては「緊急事態」と思って相談しても、「じゃあ、1週間後に予約を入れておきます」という返事が返ってきたりする。

集団作業における欠点を減らし、集団の力を最大限に発揮するためには、集団を家族同然の「チーム」に仕立て上げなくてはならない。

何か共通の目的、共通の話題や思想で固められたチームの意思決定はすばやい。よくできたチームでは、メンバーは皆友人同然の付き合いかたになる。赤の他人の意見は聞きたくないが、友人の意見ならばしょうがない。妥協はすばやく行われ、チームの意思決定は軽快に行われる。

このとき、チームの話題や目的は、患者さんに関するものであってはならない。患者さんの病気の問題は、各々の専門領域にかかわる問題だ。チームメンバーが「専門家」である自分を思い出してしまうと、チームは混乱する。皆が自分の「専門性」にかけて最良の答えを出したい。意見の対立上等。妥協した意見は絶対にいいたくない。議論の流れは錯綜し、決定は先延ばしになる。

患者さんの病気は進行する。とりあえず病気の治療に関して必要な専門の科の医師を集めても、懇親会を開いている余裕は無い。多少の歪はあっても、初対面同然の人間同士が古くからの友人のように振舞うチームを作らなくてはならない。

最も簡単な方法は、共通の敵を作る方法だ。

初対面の人間同士、いきなり趣味の話など始めても気持ちが悪いだけ。同級生でもなければ、共通の話題など探せるわけも無い。大きな病院の職員同士、いちばん簡単なのは「この患者さん、第○内科に検査を頼んだんですけど、奴ら断りやがったんですよ…」といった話題だ。

だいたい、どこの病院でも仲の悪い科、嫌われている科や医師というのはだいたい決まっている。どこかの科に協力を求めるとき、こうした人たちを「共通の敵」として話題の冒頭に振り、それから自分達の患者さんの話題を持ち出すと結構うまくいく。

相談を受けた専門家にとって、この主治医は敵に被害を与えられ、自分に助けを求めてきた被害者だ。助けを求めてきた相手は、自分の専門性にかけて助けなくてはならない。専門家は親身になって話を聞いてくれる。

子供じみた方法論だけれど、子供じみているからこそうまくいく。

優秀な専門家に、「大人」の人格者などいない。

技術系の世界はどこも同じだが、技術の優秀さと人格の高尚さとは、しばしば反比例する。もちろん例外は多数知っているけれど、多くの場合は人格的に優れた人には技術の優秀な人はおらず、一方技術が優れた人は往々にして極端な負けず嫌いで、子供に近い人が多かったりする。

共通の敵とか非難する対象を介して形成したチームには、馴れ合いのような空気が生じ、話題にも予定調和的な結論(だから○○科は駄目なんだよ…とか)が見えてくる。非常に不健全な人間関係に支配されたチームだが、一方で決定は早く、チームの機能は最大限に発揮される。

共通の敵と、それ以外の味方からなるチームという二元論的な世界で暮らすのはしんどい。一歩間違えると自分が「敵」と認定されたりする。だが、しょせんは一時のものだ。患者さんさえ目論見どおりによくなってくれれば、少々の人間関係の不調和など安いものだ。

この数年で何人かの友人、そして「信頼」というものをだいぶ失った気はするけれど…。

2005年4月11日

空気を読む

空気を読むということ

病棟の空気を読むということ
誰かの部下になるということ
上級生より早く動くということ
勧められた酒を断らないということ
従うこと
素直に頭を下げること

空気を読むということ

急変の空気を読むということ
いまモニターのアラームが鳴ったということ
いまスタッフが駆け出したということ
いま救急車の音が聞こえたということ
いま廊下をストレッチャーが走っていったということ
常に鉄火場にいるということ
病棟の信頼を得るということ

空気を読むということ

失敗の空気を読むということ
それは院内PHS
それは院外コール
それは患者さんのクレーム
それは上級生の怒声
それは婦長さんの説教
怒られたことを嘆かないということ
未来に誇りと希望をもつこと

空気を読むということ

下積みの空気を読むということ
研修医にはイエスしかないということ
医師は倒れるまで働くということ
病棟は歩くものではないということ
夜は寝るものではないということ
上級生の鉄拳の痛み
いのちがけということ

空気を読むということ

将来の空気を読むということ
最初は働けないということ
働けるようになるということ
働かされるということ
働かざるを得ないということ
一生自由などないということ

1年生の入ってこない病棟。何年ぶりかの採血と検体運び。
新入生が来るのは来週から。
そろそろと復帰。