2005.03.12
忙しい病院の思いで
中小規模の病院では、スタッフが数人辞めるだけで病棟業務が回らなくなる。
一般内科をやっていた頃は、なぜか周囲の病院がよく潰れかけ、そのつどヘルプ要員として駆り出された。
こうしたときに昔からとられてきた方法はこうだ。まずは入院患者を一定数以上は断り、職員の負担を抑える。さらにスタッフクラスの医師が何人かで出向し、外来患者を引き継いでしまい、病院の仕事の流れを安定化させる。ある程度病棟が安定してきたところで応援の研修医を派遣してもらい、病棟業務を徐々に増やしていくのだが、スタッフも自分の病院のことがあるので長くは仕事は出来ない。
スタッフが引き上げてしまうと、外来業務も病棟も、残された研修医の仕事になる。
患者さんの状態は正常な流れから徐々に外れていき、また研修医の疲労も増してゆく。この頃から新しい常勤スタッフが来てくれるまでの期間は、死の中間地帯である。たとえ助けを呼んでも、スタッフが来るには半日かかる。元の病院に電話で泣きついても、「頑張れ」の激励のみ。潰れたくなければ頑張るしかない。
患者さんの要求水準が低い時代には、なんとかなった。少々の業務の穴は問題にならなかったので、あとは根性で突っ走れば、ある程度の犠牲者は出るものの、なんとか次のスタッフまでの期間、病棟を持たせることは可能だった。
古い時代の地方病院はみなこうしたやり方だった。スタッフが一番前に出て範を示し、研修医がそれに続き、落伍する奴は潰される。勇気さえあれば成功した。
しかし、時代とともに医療機関に要求される水準は引き上げられ、伝統的なやり方では研修医はスタッフの到着前にみんな潰れてしまうことが多くなってきた。
自分が派遣された頃は、もはや危なくて研修医など派遣できない。誰もいない状況で一般内科一人。どだい無理な状況だった。
それでも患者はやってくる。もともとその病院にいた研修医が何人か壊れても、いまだに後任の常勤医師は見つからないということで、病院長代行(とにかくえらい人)が視察にやってきた。
この人の指令は明快だった。「とにかく病院を黒字にしないと、常勤医師は見つからない。病棟をいっぱいにして、業務を活性化しよう。」忙しくなる分の業務は、自分が責任を持つと。
責任をとるというのはばっくれることだった。ある日、近所の老健施設から10人もの患者がいっせいに入院。院長代行はおらず、病棟ナースもそんな話は一切聞いていなかった。ソーシャルワーカーだけは事情を知っており、とにかくベッドを埋めるために院長代行が周囲に声をかけていたらしい。
病棟に行ってみると、急な転院で猜疑心ありありの家族の顔がいっせいにこちらを向く。恐慌状態になって院長を探しても、「病院長とは連絡が取れません」の一点張り。
もうこんな病院、今すぐにでも辞めてやると何回思ったことかわからないが、あまりにも状況が理不尽だと、不思議と辞めるという選択肢が自分の中になくなる。
もしかしたら元の病院の院長が何か秘策を考えていてくれるのかもしれない、今ここで自分が辞めると、自分はもうだめになる、一度くじけたら、もう一生だめだ、いくらヘルプを申請しても通らない、自分は嫌われているのかもしれない……
もう認知はゆがみまくり。このときばかりは過労自殺する人の気持ちがよく分かった。
人間テンパって来ると、価値観がめちゃくちゃになる。別にこんな理不尽な環境、いつ辞めて帰ってもかまわないはずなのだが、不思議とそうした選択肢は自分の中では一番最後に回される。ここをやめるなら死んだほうがましだ。全然そんなことは無いのに。
冗談抜きで寝る間もないような環境が約3ヶ月。何とか後任の医師は見つかり、病院は傾かずに今でも続いている(はずだ)。
その間に潰れた研修医3人。申し訳ないとは思ったが、自分の身を守るだけで精いっぱい。彼らの仕事を分担するだけの力は当時の自分には残っていなかった。
元いた病院の研修医に声をかけてこちらに来てもらうよう、何度も院長代行から命令されたが、それだけは突っぱねた。何も残らない期間だったが、唯一自分を誉められる部分だ。