2005.03.02
難民化した研修医の明日
ローテーション制度も、そろそろ施行後1年を終えようとしている。
この制度は、研修医が全ての医局を見られる。仕事のつらそうな医局、教育をあまり熱心に行ってくれなかった医局は敬遠される。研修医同士の情報交換を活発に行えば、「勝ち組み」医局と「負け組み」医局との差がはっきりとつき、雑用の多い、研修医の教育に熱心でない医局には研修医が寄り付かなくなる。一見すると、研修医にとっては選択の幅の大きい、メリットの大きい話にも見える。
一方で、医局も全ての研修医を見ている。
従来型の研修制度では、飛び込んできた卒業生は、どんな奴でも医局の責任で育てる義務があった。研修医に対して、入局する前持っていたイメージなど全く当てにならない。とりあえず1年いっしょに働いてみて、「こんな奴だとは思ってもみなかった」という話は数え上げたらきりが無い。
どちらの方向に期待を裏切るにせよ、医局員としてその医局に入った以上はその人は一生「医局」の看板を背負う権利がある。看板を背負った奴を、その看板に恥じないだけの医師に育てられなければ医局の恥だ。だれも自分の看板を汚したくないから、上級生はそのプライドをかけて下級生を鍛える。
今の制度は違う。
医局も1年間、研修医の性格や熱心さをじっと見る時間があった。選択の幅が広いというのは医局から見ても同じだ。
どこの医局も「さくらんぼ摘み」をする。医局はどこも、おいしそうに見える奴から獲りにいく。表面上は入局は研修医の自由意志だが、水面下では特定の研修医に入局のオファーが殺到し、一方でどこからも相手にされない研修医は必ず一定数出てくる。
講義型式の教育では、臨床医は育たない。徒弟制度の嫌な部分は現在も生き残っている。医師は湿っぽい人間関係を通じた教育でしか育たず、教育は常に不公平な形でしか提供されることはない。
研修医に医局の看板を背負わせる必要がないなら、そこには教育のモチベーションなど生まれるわけが無い。きれいな部分だけを研修医に味わってもらい、「おいしい」医局を演出することなど簡単に出来る。
研修医の眼力をなめてもらっては困る。うわべだけの取り繕いなどすぐ見破れる。
そんなわけが無い。研修医が社会に出て、さんざんずるさを身につけたなれの果てが病棟スタッフだ。研修医のやり口など全て知ってる。小児科や産婦人科などの「勝負の前から終わっている」とみられる科ですら、研修医にその魅力を演出することなど朝飯前だ。
女性がたとえ2人がかりで頑張っても、人間の子供が5ヶ月で生まれることはない。研修医を1人一人前にするのも同様で、近道はいまだに見つからない。
研修医を育てるにはスタッフの労力がいる。この労力の代償は「医局の看板」とか「病院の名誉」とかいった、本当は形のないものであったのだが、今回のローテーション制度の導入、医局の解体といった一連のイベントで、国が太鼓判を押した形で「形なんてないんだ」と証明された。
教育に対する労力の代償が、何お金や権力といった、何かの形でお上から与えられることは今後も無い。
何もないところに教育への動機など育つはずは無い。どこの医局から声もかからなかった研修医の将来は、誰が責任を持つのだろう。