2005年2月 8日

正しいことだけがすべてではない

他科と共同で患者さんを診療していると、時々出くわすのが「正しい」治療を振り回す先生である。

EBMという(ひどく誤解されている)概念が出回ってから余計にひどくなったが、「ガイドラインからは先生の処方は無意味です」「その検査のエビデンスは何ですか?」と、自分の意見を通したいとき、相手の意見をさえぎりたいときに2言目には「エビデンス」という忌まわしい単語が出てくる。

EBM大好きな先生方は、基本的には正しいことを言っている。彼らの言わんとすることは論文にもなっており、全くの見当違いを強弁しているのとはわけが違う。

しかし、その意見表明の仕方が拙劣に過ぎ、全く不要な喧嘩を引き起こしている。議論の目的は患者さんを治すことで、相手を打ち負かすことではないはずなのだが、そうした人たち相手に少々こちらの意見を述べようものなら「EBM!EBM!!」の狂信的な連呼が始まり、議論はなかなか落しどころまでたどり着けない。

彼らが患者さんに対して全面的に責任を負ってくれることは決してない。相談に乗ってもらったことを後悔する頃にはお互い疲れきっており、「2度と相談なんかするものか」という気分になる。

正しい」だけでは、意味がないのだ。正しいことを叫ぶだけなら、子どもでも出来る。自分の意見を相手に聞いてもらいたいならば、それなりのテクニックが必要だ。

何かその患者さんに対して相手が明らかに間違えた事をしている場合、自分にもっとたしかな知識があって、自分の意見を聞いてもらうことで患者さんがよくなりそうなとき、「先生、そんな腐った治療はさっさと止めて、○○使いませんか?大体その治療、なんかエビデンスあるんですか?」などとやったら(またそうするのは楽しいんだ‥)、相手は意地になって自分達の治療に固執するだろう。相談を受けることは二度となく、結局不利益をこうむるのは患者さんだ。

悪いのはエビデンスのない治療に固執した医師である。しかし、結果としてこの人の態度を改めさせることに失敗し、患者さんの治療が改善される機会を失わせた責任は、拙劣な叱りかたをした医師にある。

結果をださなければ評価されないのが社会というものだ。「正しい」知識を勉強している先生であっても、自分にかかわった患者さんの予後改善にその知識を生かせないのならば何の意味もない。

コメント

復習とは…は「野望の王国」、今からブッ殺す…は「ヘルシング」からの引用です。両方とも漫画。

さすがに、医者で元ネタを知っている人はあまりいないのでしょうかね。よく「不謹慎」との評価をいただきます。

コメントありがとうございました。

鬼畜って後半のほうの文章か?
元ネタ知ってれば笑えるだけでしょう。

前半は普通にリアル。

。。。鬼畜ですね。

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