2005年1月31日

履歴書に傷をつけない転職

この10年で8つの病院に就職した。

この数が多いのか少ないのかは分からないが、ひとつの病院に勤務中に新しいドクターを迎える機会はもっと多かった。

病院の所帯は狭い。内科の医局で20人もスタッフドクターがいるような病院はまれで、たいていは数人単位。何年か一緒に仕事をしていると、話題もだんだんとマンネリ化してしまう。その中に新しい人が来るのだから、どんな人が来るのかには皆注目する。

「新しいドクターが来てくれるらしい」などという噂が流れてから、実際にその人が来てくれるまでの間は大体3週間。たいていは、どこからか履歴書の内容が漏れ聞こえてきて、「こんな人らしい」「留学したこともあるらしい」などといった噂話に花が咲く。

実際に履歴書を見ながらの歓談になった場合、必ず注目されるのが経歴の中の空白期間である。

どこの大学を出た、こんな論文を書いたといった内容からは、その人が実際にどんな人なのかまでは想像できない。どこの研修病院を卒業してきた、今までどんな病院で経験をつんでこられたといった内容は、あたりまえすぎて話題が続かない。

「いい先生が来てくれるといいですね」などという当り障りのない結論に話が落ち着いたところで、下衆な勘繰りを生きがいにする私のような医者は「この人、3年目と4年目の間に2ヶ月間空白がありますけど、いったい何してたんでしょうね…。」などと噂話に新たな燃料を提供する。

何もない空間には想像が膨らむ。この間にいったい何があったのか、どうしてこの人はイレギュラーな時期に病院を辞め、今またこの病院に赴任してくるのか。前の病院で何か人間関係のトラブルがあったのだろうか、病気でもしたのか、または何かの趣味に、病院を辞めかねないぐらいのめりこんでしまっているのか。

医者はどうしても転職が多く、病気やトラブルで同じ病院でずっと働けなくなることも多い。当院を辞めていく下級生にいつもアドバイスをしているのが、「履歴書に傷を作らないような転職を心がける」ということである。

要は就職していない期間を1ヶ月以内にすることで、月をまたがなければ履歴書に嘘を書かなくても空白期間は出来ない。空白期間がなければ、少なくともそれをネタに痛くない腹を探られることもなくなるわけで、新しい職場に行ったときに変な色眼鏡で見られなくて済む。

「次の病院に行く前に、2ヶ月ぐらい遊ぼうと思うんです」などという研修医が時々いるのだが、将来どうなるのか全く読めない昨今、気をつけたほうがいいと思う。

2005年1月29日

エンジニアに求められるもの

@ITの掲示板ログから。

コミュニケーション能力を重視したいですね。 プログラマの中には、一緒に仕事をしている仲間がどういう仕事をしているかということに興味すら持たない人が多いように思います。自分の仕事は他人に手出しさせず完璧にこなす代わり、他人の仕事には一切手を出さない。
専門的な技術知識は、これから就職される方ならそれほど重要ではないと考えています。新しい技術はどんどん登場してきますから、今もっている知識もそのうち使えなくなります。今持っている知識が少なくても、仕事の中でどんどん知識を吸収していける人のほうが長続きします。

技術力や感性/熱意といったものよりも、技術者同士のコミュニケーション能力を重視している人が多いことに驚かされた。自分の業界(主に一般内科)と同じだ。

これが、専門性の高い科になればなるほど腕がものを言う世界になるのだが。

腕のない自分のような人間には「腕力で相手を黙らせる」ことなど出来るわけもなく、交渉力を生かせる一般内科系への進路はある種必然ともいえた。

口先だけなら「CVの穿刺が上手なことと、上手な医者をいつでも呼べることとは同じだ」などとうそぶけるのだけれど、やはり手技の上手な先生はうらやましい。

総合臨床、救命救急、一般内科といった特定の疾患に対する専門性を持たない科では、自分の腕のなさをコミュニケーション能力でカバーすることが出来る。実際問題、腕の立つ専門科の先生は自分の腕の見せ所を常に求めているものなので、頼んで断られることはまずない。

困るのは仕事を他科に依頼すればするほど自分のプライドが擦り切れてくることで、そんなものを簡単に捨てられるほど自分はまだ人間が出来ていない。

この人もうだめだから、一般内科の先生たちで好きに診てもらっていいよ。

重要な部分は全部やってあげるから、患者さんのフォローよろしくね。

一般内科医を潰そうと思ったら、この2つの言葉を1年も繰り返せばそれで済む。ただし、専門家にそれだけの腕があることが前提だが。

2005年1月28日

難病の子出産は医師の説明不足

読売新聞の記事

遺伝性難病の子供が生まれたのは、医師の説明が不十分だったためとして、東京都内の夫婦が日本肢体不自由児協会(東京都板橋区)に計約1億6200万円の支払いを求めた訴訟の控訴審判決が27日、東京高裁であった。裁判長は医師の説明不足を認定した上で、1審が認めなかった介護費用約3490万円を含む、約4830万円の支払いを命じた。

医療過誤判例集より。

本件の原告である両親Xらの長男A(平成4年1月生まれ)は、出生後まもなく眼振をともなった運動遅延が見られたため、ペリツェウス・メルツバッヘル病(以下「PM病」)に罹患している疑いが持たれた。そのため被告が開設するYセンターに通院していた。

両親は長男の受診の機会に、B及びC医師それぞれに対し、「次の子供を作りたいが大丈夫でしょうか?」と質問した。回答の文言については、原告・被告間で争いがあったようだが、判決では、B医師は原告らの家族に同様の症状を持つ者がいないことを確認したうえで、「私の経験上、この症状のお子さんの兄弟で同一の症状のあるケースはありません。かなり高い確率で大丈夫です。もちろん、長男がそうであるように、交通事故のような確率でそうなる可能性は否定しませんが。長男の子供に出ることはあるが、兄弟に出ることはまずありません」と回答したと認定されている。

Pelizaeus-Merzbacher病はミエリンのproteolipid proteinを合成するための遺伝子の変異が原因の疾患で、性染色体性劣性遺伝とされているが、女性保因者の発症の可能性もあるらしい。出生前診断も可能とされているが、このケースではなされなかったのだろうか?

いずれにしても一審よりもさらに厳しい判決で、医療者側の説明責任が現在いかに厳しいものであるか、再確認させられる内容。

「先生、大丈夫でしょうか?」という質問にはっきりYes/Noで答えるのは昔から地雷を踏む行為といわれてきたが、これを裁判所も認めるようになったわけだ。

要するに、医者は患者さんからの相談には一切応じるなということか?

今日のカテのムンテラどうしよう…。

2005年1月27日

修羅場で情報を伝える

突入したらまず石を投げろ。投げ終わったらただちに突っ込め。 至近距離まで突っ込んで、相手の腹を突け。 絶対に退くな。退いたらやられるぞ。
「突破者」宮崎 学氏が、民青系の学生大会に突入する前に学生に発した命令がこんな言葉であったらしい。

学生同士、お互いに角材を持っての乱闘になることが予想される現場では、誰もがパニック状態になる。こうした学生相手に的確な戦闘のしかたを指示する際には、このぐらい簡単な言葉でないと伝わらないという。

ゲバ学生とは対極の立場である警察組織でも、作戦前の情報伝達には工夫を凝らしている。

人質救出などの作戦が始まると、誰もが例外なくストレスにさらされ、視野が狭まって聴覚が低下する。

このため非言語のコミュニケーション手段は必要不可欠で、身体で表現できるジェスチャーを普段から使用できるよう、訓練するという。

心理的なプレッシャーがかかった状態で、隊員相互のコミュニケーションをどう行うか、多くの対テロ部隊で研究が続けられている。

アメリカでは主に技術革新に力を入れ、多種多様の通信機材が開発されている。一方ヨーロッパでは、緊急時にも確実なコミュニケーションが行える、単純なコミュニケーション術が考えられている。

たとえばさまざまなワークショップを通じ、まずは必要なときに必要な大きさの声を出せるような訓練、自分の意志を短い言葉で伝える訓練、言葉の中に感情を含ませ、言葉の有効性を高める訓練、パントマイムをはじめとしたボディランゲージの訓練等が実際に行われている。

臨床医の現場でも、しばしば修羅場を経験する。救急外来の患者の突然のショック状態、CAG中の冠動脈主幹部の解離、手術中の突然の心肺停止等、リーダーのとっさの判断で患者さんの予後は大きく異なってくる。

リーダーがパニックに陥らずに冷静に指示を出しつづけるのはもちろんだが、修羅場に遭遇しても大きな声ではっきりと指示を出す、動作を大きくしてスタッフに意思を伝えやすくする努力は必要である。

ただこれをやりすぎると、「リーダーは怒っている」と周囲が錯覚してしまい、チームが萎縮する。修羅場に直面したチームはリーダーに依存的になるので、これは非常にまずい。

個人的には、自分の受け持ちが急変した場合、技量が同程度の医師が周囲にいたときはリーダー役を代わってもらうことが多い。もちろん家族への話し、病室の交渉等は主治医である自分の責任で行うが、急変回避のためのチームのリーダーは、いい意味で「他人事」として仕事をしてくれる主治医以外の医師がリーダー役をやったほうがチーム全体としては上手くいく。

欧米では、患者が急変した場合には「コードブルーチーム」というCPR専門部隊が患者を引き継ぐが、必要なことを冷静に行うという意味ではベストに近い方法だと思う。人員が余分に必要な時点で、日本では困難であるが…。

2005年1月26日

実用的な知識/文句を言ってくる人

ある日、ファラデーが一心不乱に電池をいじっていたときに、ある貴婦人が訊ねた。 「そんな役にもたたないつまらないことをして何になるんですか?」 ファラデーはこう答えたという。 「生まれたばかりの赤ん坊が何の役にたつというのですか?」

現場で医者をやっていくのに必要な知識は、うんざりするほど実用的なものばかりだ。

覚えるだけでいやになるようないわゆる「医学知識」とは別に、医師はいろいろなことを覚えなくてはならない。

看護師さんに優先的に自分のオーダーを受けてもらうためのコミュニケーションの方法

「この経腸栄養を使うと便がゆるくなっておむつ交換が大変」などといった汚い部分の知識

「退院を渋る家族に退院の話を切り出すときは、高齢の奥さんが一人でいるときに集団で取り囲め」などといった別の意味での汚い知識

医者を続けてきた中で、高尚な科学的な知識よりも、こうした実用的な知識、下世話な知識、病院という一般社会とは毛色の変わった場所で生き残って医者を続けていくための知識には非常に興味がある。

こういう知識は収集するのが難しい。一般化できる部分が少なく、病院ごとにローカルルールが異なるために意見の集約が困難。誰も大事な知識だと思わないためあえて公開しようとする人もいない。当然、こんな話題を医学雑誌に投稿しても採用されるわけもない。

「こうしたら便利」的な知識は、それが下世話で具体的であればあるほど実用的で、自分の病院生活に役に立つ可能性が高い。一方、具体性が高いほど「患者さんの下世話な話」を公開することにつながり、その公開の方法が難しくなる。

さらに悪いのは、医者が下品な知識を交換/公開するのを同業者がとがめることで、「そんなことは医療従事者が話題にするべきではない」「熱心な医者ならそもそもそんなことは考えない」「そんな話題を口にするものには医師の資格はない」といった意見には悩まされる。

掲示板への書き込みやメールでのクレームは、まだコミュニケーションの方法もあるのでましなのだが、なんと言っても凹むのがメーリングリストで批判的な話題の種にされること。

ある日なぜか自分のページのアクセス数が増え、googleを引いても何が起こっているのか分からないまましばらくして、「国際的な視点から」患者のための医療とやらを推進するメーリングリストでさらしものにされているのに気がついたときは本当にいやな気分になった。

これはもう欠席裁判もいいところで、せめて反論の機会ぐらい与えろよと思う。

明らかに自分よりも社会的な地位の高い、たぶん国際的な舞台で活躍しているような先生がたは、なんで直接文句をいわずに、メーリングリストのようなクローズドな世界で人のサイトを批判するのだろう。

批判する時間があったなら、もっと有益でもっと役に立つ情報、ノウハウを公開して、うちのサイトで公開している情報がいかに無意味で、価値のないものなのかを証明して欲しい。

もともと何らかの「呼び水」にでもなればと思って作ったページだし、自分もぜひともそうした「きれいで役に立つ」マニュアルが欲しいのが本音なのだが。

同じ目標でもっと優れた人に出会えるのはネットの醍醐味だと思う。同じ目標を持った人は少ないのだろうか?単に自分だけが変わっているとは、あまり思いたくない…。

2005年1月25日

心不全の治療

某講演会から。

hANPは心臓をリラックスさせるホルモンである。

心不全の治療戦略

血行動態の改善 カテコラミン、PDE阻害薬 減負荷療法 亜硝酸薬 ACE阻害薬(前負荷軽減) PDE阻害薬、hANP、ACE阻害薬(後負荷軽減)

心筋細胞の保護薬 hANP、ACE阻害薬、アルダクトン、ベータ遮断薬

急性期心不全の治療戦略は、現在心刺激薬の時代から心筋保護を急性期から行う戦略に変わりつつある。

レニン-アンギオテンシン系の研究は、現在アンギオテンシンからアルドステロンにその話題が移りつつある。

ANP/BNPはともにアルドステロンの産生を抑制する形で作用する。

ANP/BNPの作用

Na利尿
血管拡張薬としての作用
アルドステロン、AVPの分泌抑制
心筋肥大や繊維化の抑制

アルドステロンは副腎で合成されるが、不全心筋を持っている人に限っては心筋でも合成される。
アルドステロンは、今まで予想されていた以上に心血管系に悪影響を与えている。

組織レニン-アンギオテンシン系への悪影響

酸化ストレスの原因
心筋組織中のアルドステロン濃度は、血液中の17倍程度まで上昇している

アルドステロンは酸化作用の強いホルモンで、特に心筋組織の炎症、繊維化をもたらす。

アルドステロンのこうした作用は、試験管内では再現されにくかった。こうした悪い作用は、ナトリウムの介在が無いと生じない。

減塩が徹底的に行えるならば、レニン-アンギオテンシン系の心筋への悪影響は非常に少なくなる可能性がる。

スピロノラクトンの内服は、ACEの遺伝子の発現を抑制する。ACE阻害薬よりもさらに手前の段階で、アルダクトンはRAASの働きを抑制している。

BNPの静注は、アルドステロンの産生を押さえる。一方、血液中のレニン、ノルエピネフリンの濃度はあまり下げない。

ANP/BNPはACE阻害薬、ベータ遮断薬、ARB/アルドステロン拮抗薬の作用を併せ持っている。

心不全患者では、患者の血圧の低下よりも先にBNPの低下が生じる。

心不全患者において、本気で患者の後負荷の軽減を図るには相当な量のACE阻害薬が必要になる。

重症の心不全の患者さんに、本格的な心保護的な治療戦略を行うと、血圧の上昇が見込めず無尿になる。しかし検査データが悪化しないならば、3日ぐらい無尿でもその後必ず利尿が来る。

亜硝酸剤の静注は、うっ血が取れても症状の軽減がこない一方、ANPの静注は肺うっ血がある状態であっても患者の症状がまず楽になってくる。

続きを読む "心不全の治療"

2005年1月24日

美しい治療

患者を死なせたくて治療を開始する医者はいない。

ホスピスをはじめとする終末期医療は例外だが、あちらは「どう生きたか」が目標の科で、「どれだけの時間生きられるか」が目標になる内科/外科とは思想が違う。

患者を受け持った医師はまず治療のプランを立て、大体何日目にはこのぐらいによくなっているだろう、という目処をつけて治療に臨む。治療プランは往々にしてうまくいかず、よくなるはずのプランどおりに治療が進行することはむしろ少ない。

主治医にとって、自分の治療プランの失敗を認めることは敗北だ。患者さんに治療プランどおりの回復が認められなかった場合、医師は自分の実力を直視するのを避けたいという心理が働く。

患者さんが目標どおりによくならなくても、「この患者の場合は負けてもしょうがない」と思ったり、また当初の治療プランの中に病院の全力を投入していなかったとしても「この患者にPCPSを入れても足が腐るだけ」とか、「挿管->気切は本人も望まなかったよ」などと、うまくいかなかった場合のいいわけを考えてしまい、治療プランを変更する決断が下せないことがある。

常識的に考えれば、プランどおりにいかなければプランを変更すればよい。しかし、プランを変更するということは自分の当初の考えの間違えを認めることだ。もともとプライドが高く、同僚の目も必ずしも温かでない医師という仕事では、しばしばプライドがプランの変更をためらわせてしまう。

誰もが「きれいな」治療をしたいと考えている。最低限の薬を使い、治療は内服と最小限の点滴だけ、患者さん自身の回復力を信じて経過を追い、退院時には「私達は、患者さんが治るのを手助けしただけですから‥」と内心鼻高々に謙そんしてみせる自分を思い描いている。

透析、挿管、心カテ等のの侵襲的な手技は、同僚からは"汚い"治療とみなされる。侵襲的な手技には当然合併症の問題が付きまとうし、昨今の医療経済がらみの報道、高度医療をバカみたいに行う医師は腕が悪いような表現をするマスコミの記事などは、こうした汚い治療への選択をためらわせる。

病気で入院してくる患者は誰もが死にたくない。主治医の美意識のためなら命を投げ出してもいいなどという患者はいるわけもない。治療がうまくいっていないとき、どうも予想と違った方向に流れが向きそうなとき、「自分の考えた美しい治療プランが破綻する」と思えたときには、医師は自分のプランを変更することをためらってはならない。

続きを読む "美しい治療"

2005年1月23日

患者さんのマネージャーとしての主治医

どんなに大きな病院であっても、集中治療室のベッドの数は限られます。当院はかなり大きな病院ではありますが、集中治療室は7床あまり。ベッドは常に満床で、そのベッドを各科が取り合いになります。

ベッドをコントロールするのは集中治療チームの先生方です。彼らが「この患者さんにはもうICUの適応はなくなった」「もっと他に重症な人が病棟にいる」と判断すると、自分の受け持ち患者は病棟に出されるのがルールです。

以前に重症な人を持ったとき、ICU在室を許された3週間ほどの間に多くの患者さんがICUを出され、その多くが亡くなりました。もちろんその中には妊婦さんや小児科の子供もいます。うちの患者さんは集中治療チームの保護下、ずっとICUの治療を続け、結局歩いて退院できました。

各科の批判はすごかったです。「何故うちの子供が出されなくてはならないのか」「内科の患者さんはもう2週間も入院しているのに、何で家が先に出されるのか」等々、陰口を叩かれたり、面と向かって「卑怯者」といわれたり。

悪いとはまったく思っていません。うちの患者さんも、ICUを出されたらたぶん亡くなっていましたから。

どんなに重症の人が増えようとも、病院内の人的リソースは限られています。その中で各科がICUのマンパワーの食いちぎり合いをする訳ですから、他の科の人のことなんて考えている余裕などありません。こっちだって必死です。

集中治療室の患者さんは、しゃべれない方々がほとんどです。そんな中で自分たちの患者に興味を持ってもらうためには、この人には子供が2人いる、奥さんは今日こんなことを話していた、治ったら去年行った場所に再びキャンプに行きたいらしい、といったその人の人としての情報を現場のスタッフにフィードバックし、興味を持ってもらう努力が欠かせません。

患者がどんどん出されていく中で、うちの科の患者さんだけ長期滞在を許してもらえたのは、その人の病態、治癒に至るまでのイメージをなるべく具体的に伝え、ICUスタッフに力を貸していただける部分が、最終的にこの患者さんに対してどういったメリットが期待できるのかをちゃんと伝えられたからではないかと考えています。

集中治療室のスタッフだって人間です。「治療に関する指示はこちらが出しますから、何かあったら呼んで下さい」などと捨て台詞を吐かれた日には、誰がその主治医の患者に興味を持つでしょうか?

他科の患者さんは、スタッフの会話の中で「〇〇番ベッドのARDSの人」などと呼ばれ、ICUを出されて亡くなりました。うちの患者さんはICUスタッフから「〇〇さん」と呼ばれ、何とか歩いて退院する所までこぎつけられました。

主治医は、ちょうどアイドルのマネージャーのようなものです。各科の専門家に自分の受け持ち患者を紹介し、より多くの力を貸してもらうよう努力するのも大事な仕事です。患者さんの重症度、診る医者の実力的な問題以外に、こうした部分もかなり大きく予後を変えるのではないかと思います。

2005年1月22日

他科との連携

正しいことを正しく主張して相手を論破しても、人間関係が壊れれば他科と連携して患者を診るメリットは消失する。

特に循環器や消化器の若手は「世界で一番賢いのは俺様だ」という意識が強く、たとえば集中治療部に協力を求める際にも「ベッド管理とバイタルチェックのみをやってくれれば、後は全部こちらでやります」などと言ってしまったりする。しかし、いくら自分の方針に自信があっても、協力を求めた他科との人間的な信頼関係がなければ、まともな併診などしてくれるわけもない。

若手を通して他科に協力を求める際、往々にしてやられるのが相手の知識不足や勘違いをついて相手を論破し、その上でこちらの方針を説明して自分たちの要求を100%通そうとする行為である。

しかし、最初からそれをやると相手のプライドが傷つくだけでなく、こちらの思い込みや間違えを指摘してもらう機会は奪われ、患者に対して力を貸してもらうどころではなくなる。

自分がいつも心がけているのは、自分たちが併診してほしい患者が今当科的にどういった問題を抱えていて、最終的に自分たちとしてはどうしたいのかの方針を明確にすること。特に、今自分たちが何を一番困っていて、相手に力を貸してもらえることでその患者がどうよくなるのかの期待値をなるべく具体的に提示することである。

優れた交渉者というのは、相手が決して押しつけられたと感じず、あたかも自身が発想したかのようにその合意内容をまとめることができる。交渉を繰り返す中で、相手が自分たちの提案を相手があたかも自分の発想のように語り出す瞬間がある。

それをとらえ、「それで行きましょう」と言うと、相手も気分よく協力してくれる。こうした交渉は他科の医師だけでなく、他の職種との会話でも非常に重要だと思う。

2005年1月21日

ローテート研修総括

研修医が病院内の各科を回るシステム、ローテート方式の研修システムは、そろそろ最後の4半期に入る。いままでいろいろな病院を転々としてきたが、この1年間は大学病院で研修医を迎える側からこの研修システムをみることが出来た。分かったことをいくつか。

ローテートは「勝ち組み」と「負け組み」が非常にはっきりと出る

典型的なローテート研修では、研修医は7-8人のチームで3ヶ月ごとに各科をまわる。実際に仕事をしながらの研修で、3ヶ月という時間は非常に短い。全くの初対面の人間どうし、同じチームの一員として違和感なく働けるようになるには、早い研修医でも2週間、遅い研修医になると2ヶ月はかかる。

研修医が新しい科のスタッフから受け入れられるまでの時間は単なるお客さん、実のある研修は出来ない。この期間を短くできるレジデントは「できる奴」「優秀な奴」として同じ3ヶ月の中でもより多くの教育を受けることができる。一方、人見知りをするレジデント、自分を表現することが下手なレジデントは「お客さん」でいる期間が長く、結果として「やる気のない奴」というレッテルを貼られてしまう。

自己表現の上手な人、初対面の人と友達になるのが早い人は、ローテート研修というシステムでは非常に有利になる。一方で地味な人、人見知りをする人、人の陰に隠れやすい人は不利だ。

いくらまじめに勉強してきたところで、実地の臨床で必要な知識といわゆる「医学知識」とは全く違う。逆説的だが、病理や生理の知識が役に立つのは病棟業務が落ち着いてこなせるようになった3年目以後のことで、1年目や2年目のうちはそうした知識をいくら豊富に持っていても評価の対象にはならない。

これが従来型のストレート研修なら話が違う。地味な奴でも2ヶ月もいっしょに働けば顔も覚え、レジデントの性格や「ノリ」といったものも把握できる。ある程度時間がたって、チームで一緒に働けるようになったときには、寡黙でまじめなレジデントは「確実さ」「信頼感」といった自分の特質をアピールできる。

しかし3ヶ月しか時間がない場合、やっとこうした部分が周囲に認められたときには科が変わる。レジデントの情報は全くといっていいほど次の科には引き継がれず(逆にいうと、大きな病院では「研修医のブラックリスト」など存在し得ない。みんな自分のことに忙しすぎて、作るひまがない)、新しい科ではまた「よくわからないけど地味な奴が来た」からやり直しである。

ローテーターは後半のチームほど点数が辛い

どこの科にいっても、年の後半に回ったレジデントに対する評価は厳しい。1年目の研修医とはいえ、後半に入ってくると病棟が研修医に期待する部分は大きくなり、実際レジデントが病棟業務で活躍してくれることも多くなる。

自然、スタッフもレジデントの力に頼ることが増え、結果としてチーム換えが行われた際、「あいつらこんなことぐらいやっておいてくれたのに、何で先生出来ないの?」という台詞が病棟で飛び交うことになる。

もちろんまた2ヶ月もすれば、どのレジデントもほとんど同じように力を発揮してくれるのだが、スタッフの中には以前の研修医の思い出が残り、「あいつらのときは即戦力になったのに…」という記憶は現在回っているレジデントへの厳しい評価につながる。

公平な評価など期待できない

従来型のストレート研修にも欠点はある。卒業と同時に選択した科以外をローテートすることはまずありえない。研修医時代の初期にスタッフの機嫌を損ねようものなら、その後の一生が台無しになる危険だってある。

折り合いの悪い上司とぶつかり、まともな評価が与えられないまま心を病み、「潰された」研修医も全国レベルではものすごい数に上るだろう。

ストレート型、ローテート型の研修システムはどちらが優れているというものではなく、今のところは「臨床研修」というゲームのルールが変わったに過ぎない。スタッフサイドの意識改革が今後もあり得ない以上、ルールがどう変わっても「誰かが不利になり、誰かが有利になる」ことは変わらない。

ルールの変更により、従来は不利をこうむった研修医は有利になったかもしれないが、一方で従来は不利でなかった「まじめで地味な研修医」という連中が不利になったというだけだ。

ならどうすればいいのか

研修医をまともに評価しろ、というお叱りの声は必ず出るだろうが、スタッフだって人間だ。しょせんは研修医のごく一部の部分しか評価できるわけはないし、好き嫌いもある。「スタッフはきっと、どこかで研修医の努力の成果を認めてくれる」なんていう話はあるわけがなく、努力をするにしてもスタッフの見ている目の前でやってくれなければ分かるわけがない。

現在のローテート研修のシステムの中で自分を生かすには、一刻も早くチームに自分を紹介すること、「私はこんな奴です」という分かりやすいキャラクターを自分で演じつづけること、「この人とはどうやっても合わない」と思ったら絶対に自分を責めずに、次のローテーションまでの時間をじっと待つことである。

つまらない上司にあたってしまった不運を嘆いている時間はない。

続きを読む "ローテート研修総括"

2005年1月20日

批判は拳の届く距離で

さあ!! 諸君!!

煽ったり煽られたり 潰したり潰されたりしよう

さあ 乾盃をしよう 宴は遂に 今宵・此の時より開かれたのだ

ネット上の議論は楽しい。匿名の相手同士は些細なことから議論が始まり、瞬く間に過激な意見の応酬に発展する。

議論の手段は手元のエビデンスの引用、論理のテクニックの応酬のような「健全な」ものから、相手へのラベリングや侮辱といった人格攻撃、問題の一般化や2元論化のような詭弁、さらには匿名性を利用した自作自演のような匿名掲示板ならではのテクニック等、インターネットでの匿名議論はあらゆるテクニックを駆使した高度なゲームの様相を呈している。

お互いが匿名同士だと議論も気が楽で、こちらが有利ならば平気で止めを刺すまで相手を追及できる。一方、自分達のほうが不利ならば「あんたら必死だな(プ。」で議論を打ち切れば、また何事もなかったように別の喧嘩に加われる。

相手の実名が特定できる場合、話は全く違ってくる。

実名が公開されている、あるいは特定可能な人は、議論に負けることは許されない。

実世界での議論では、明確な勝ち負けがつくことは珍しい。議論が白熱し、本気の殴り合いになってしまえば議論の勝ち負けはうやむやになる。そこまで行かなくても、通常お互いに「落しどころ」を探しながら議論をするので、議論を有利に運んだほうが相手をとことん追い込むことは少ない。

もちろん、弁護士のかかわる示談交渉や会社組織同士の議論は話が別だが、あれは議論のプロ同士の話だ。

一方でネット上の議論は、勝ち負けは常にはっきりとつく。公開の場での議論には多数のギャラリーがつくのは避けられず、議論が続かず回線の接続を切った時点で「負けた」とみなされる。勝ち馬に乗った側の追求の手は止むことはなく、たいていは相手が「参りました」をするまで議論は続く。

匿名VS実名の議論は実名を出しているサイドに圧倒的に不利だ。匿名側はいつでも勝手に議論を打ち切れるし、煽りや騙り、果ては議論の相手のプライバシーの公開や過去の出来事に対する中傷等、やりたい放題だ。

実名を出している側のダメージは大きい。匿名者がおもちゃの刀を振り下ろす感覚で書き込んだ批判的な意見は、実名を出しているほうにしてみれば日本刀で切りつけられたに等しい。

困るのは切り込んできた匿名者にその自覚がないことで、実名を出している側にしてみれば弁護士の力を借りてでも対処しないと、自分の社会での立場を守れない。「あなたも実名を公開しなさい」と、相手に同じ土俵に立つことを要求しても、具体的な「力」を示されなくては誰も好んで不利な立場に下りるわけもない。

実名を公開している人との議論は、なにかあったら相手をブン殴れる距離でやらないと、批判的な意見を戦わせることは難しい。言葉だけでは人の持っている情報の半分も伝えられないので、ネット上では議論の落しどころを見つけることは不可能に近い。

「このまま追求つづけると議論には勝てそうだが、止めを刺すとぶん殴られるかな」という感覚がお互いに共有できないならば、公正で対等なディスカッションなどありえない。

匿名の人と実名の人とはネット上で住み分けるべきで、実名を公開している側がよほどの議論のベテランでないならば、匿名側の住人が実名側の議論に突っ込んではいけないと思う。

個人的には、実名を公開している人に意見するときには実名でメールを送ることが多い。特にLaTeX関係のWEBページを公開している人たちはほとんどが実名でやっているので、質問メールなどはいつも実名でやり取りしている。

他人から顰蹙を買うような内容も多いページをずっと運営しているが、この方針で結構トラブルこともなく、何とかなっている。

この3年ほどで1回サイトを乗っ取られ(公開ページにエロ画像を張られた)、2回ほど掲示板を荒らされ、"死ね""あんた本物のバカだ"といった匿名メールは今でもしょっちゅう送られるが、その程度ならどのサイト管理者も経験済みのことだと思う…。


続きを読む "批判は拳の届く距離で"

2005年1月19日

一人しかいない病院での勉強

知識の習得方法には2種類ある。論文やマニュアル、ガイドラインをひまなときに読んで勉強する方法と、臨床の現場でトラブった時にとりあえずその場を乗り切るためにちょっと調べたり、周りの人から聞いたりして覚えた知識と。

前者の方法は、いくら覚えようとしてもすぐにまた忘れてしまう。たとえガイドラインを暗記している疾患であっても、実際に診たことの無い疾患の人が目の前に現れたらその病気を診たことのある人と一緒で無いと、怖くて診療などとてもできやしない。

自分で学んだ知識というのは、実体験が伴っていない部分で実際に役に立つ知識にはなりえない。

他の人からその場で教えてもらった知識というのは、たとえエビデンスのレベルとしては最低のものであっても、自分の直面している問題点を解決する助けになるという点で非常に役に立つ知識になる。

理想的には、臨床の中で問題に直面するたびに、エビデンスレベルがある程度確保された、役に立つ情報がすぐに出てくれれば一番いいのだが。

UpToDateなどのデータベースはそれを実現しようとしている。検索のシソーラスが非常によく考えられており、かなり「あたり」に近い情報が出てくる。しかし、まだその実態は検索が非常に容易な内科の教科書の範囲を脱していない(それでも十分すごいのだけれど)。

現場で何か判断に困った際、一番欲しくなる知識というのは「同じような状況になったとき、こうしたらうまくいった。」「こう判断したら失敗し、患者にトラブルが生じた」「トラぶったが、こうしたら切り抜けられた」といった知識なのだが、教科書やガイドラインをいくら読んでもなかなかこうした情報は出てこない。

僻地で一人内科をしていて、周りに頼れる人もいないような状況では、ガイドラインや教科書をいくら読んでもはじめてみる病気の細かな対処が分からない。

たとえば抗生剤を落としてから何日熱が下がらなければあせったほうがいいのか、症状がよくなっても画像所見が変わらないのは様子を見てもいいのかといったことは調べても載っておらず、非常に困った。

こんなときに役に立ったのは、インターネット上で検索した症例報告だった。患者さんの症状や病名をscirusやPUBMEDに打ち込んでみると、症例報告がぞろぞろ出てくる。その中で自分の感覚に合いそうな症例報告をいくつか読んで、論文を孫引きしてから現場に戻ると、ある程度安心して判断を下すことができた。

検索に恐ろしく時間がかかるが、僻地ゆえアクティブな患者数はそう多くは無かったので、こんなことも可能だった。

続きを読む "一人しかいない病院での勉強"

2005年1月18日

組織崩壊までの4つの段階

病院をはじめとする組織、あるいは研修医制度などの何らかの目的をもった制度が誕生してから、それが崩壊するまでの間には、その求心力の根源が4段階に変化する。

すべての組織が同じ段階からスタートするわけではない。しかし、すべての組織は崩壊に近づくにつれて、同じような段階を経ていく。組織が壊れていくのは一瞬だが、組織崩壊の過程を元に戻すには大変な苦労がいる。

夢の時代

やる気のあるリーダーが、自分の実現したい夢を周囲に語り、それに賛同した人たちが集まる段階。同じことを考えている競争者は少なく、またリーダーの夢を心待ちにしている人は多い。

国境なき医師団などの団体の黎明期はそのようなもので、医師のいない地域での医療行為は神聖視され、またそれに関わる人々は周囲から尊敬される。

仕事に対する報酬は「ボランティア」同然、非常にきつい仕事内容は毎日が学園祭前夜とも形容されるが、その熱狂もまた学園祭前夜のそれ。忙しくてきつい仕事に文句をいうスタッフはおらず、チームのモラルは高い。

名誉の時代

リーダーの「夢」がある程度実現し、仕事がルーチン化すると組織は安定期に入る。

初期からのメンバーの中にはリーダーの夢に飽きてくる者も出るが、この間に組織が築き上げた名声は気分がいいので、そのまま居着いている人がほとんどである。

一度名声が築かれた組織には、新しい人が集まってくる。組織は大きくなり、また初期のリーダーとは別の人、「専門家」を自称する人があれこれ口を出し始める。彼らは組織の名声に自分の名前を刻もうと画策し、ときに初期のメンバーを批判する。

「非専門家」と名指しされた初期メンバーの中には組織を離れるものが出始め、組織の力や名声は徐々に衰えていく。

この段階の末期になると、「訴訟されると人生が終わる」「裏切るとこの組織から放り出すぞ」といった、恐怖を用いることで組織は求心力を保とうとする。

存在しているだけで名誉であった組織から放り出される恐怖が、モチベーションになり得なくなったとき、組織は次の段階に進む。

お金の時代

競合する組織がいくつも出来上がり、その組織にいつづける名誉が薄れてしまうと、人はそこで働く意義を働くことにより得られるお金に求める。

この段階になると、団体の創世期からのメンバーが別の団体を作っていたりして、競合する組織がいくつも出来ている。自分の組織を他からの視点で眺めることができるようになり、周囲からの評判の悪い部分が目に付くようになる。

患者からの感謝なし。家族からの評価なし。世間の評価は最悪でもはや賤業。 訴訟のリスクを常に抱えていて裁判官の印象も最悪。 こんな状態で金以外の何を信用しろと?

組織のモラルは低下する。トップは自己保身に走るようになり、それに幻滅した部下は他のもっと見返りの大きい組織へと移っていく。

組織やチーム全体の志気が低下すると、そこから出て行こうとするのは最も優秀な人たちである。彼らが一番不満を抱えていると同時に、転職できる可能性も高いからである。優秀でない人たちは、給与に不満はあっても、今の組織を辞めると行き先がないことを自覚している。

優秀な人材が逃げ出せば、組織全体としての生産性は低下する。生産性が低下すれば、残った人たちの仕事は増え、時間当たりの報酬は減少する。ますます労働条件は悪化し、職業としての魅力がなくなっていく。

高邁な精神などDQN患者の前では消し飛ぶ こんな人を救うために医者になったのかと しかしそれでも仕事 それが仕事

あくせく働くことが馬鹿らしく思える頃、お金すらもモチベーションたり得なくなる。

余暇の時代

モチベーションのすべては「定時に帰ること」「余計な仕事を増やさないこと」にささげられる。

この段階になってしまうともう黒字を作ってくれる人はごく小数になってしまう。経営が成り立つことは期待できず、組織は崩壊する。

一方で潰れる心配のない団体、地方の公務員、郵便局員などの組織は最初からこの段階から組織が始まっている。こうした集団は余暇の多さが立派なモチベーションたりうるため、組織はほとんど永遠に近い寿命を持つことになる。

現在の研修制度

現在の研修医養成制度の悲しいところは、余暇の段階にある組織のえらい人たちが「夢」を掲げて、研修医に安価な労働力になってくれることを期待している部分である。

夢を見たことのない人たちに、夢を語る資格などない。

まだ、個々の病院のリーダーの先生方には夢を捨てていない人は大勢いる。そうした人たちの持つ力を吸い取る形で、研修医制度に何の夢も持っていない人たちが形だけの「夢」を語り、制度自体を腐らせていく。

組織が腐って場所が空けば、そのニッチに新しい制度や組織が生まれる。そうなるのはきっと、そう遠くないはずだ。

こんなときだからこそ、医師の自治組織としての大学病院の意義というものがもっと見直されてもいいはずなのだが。いまは大学病院に残る研修医は馬鹿者扱いされているみたいだが、それでも自分は大学という組織の底力みたいなものを信じたい。

2005年1月17日

与えられたルールの中で最善の解を目指す

評論家である前に、一技術者でありたいなと。

他の技術系の職業の方からは違うといわれるかもしれないが、医者という職業もまた技術系の仕事のひとつだと思う。

聖職者や科学者、研究者などではなく、かといって自嘲気味に語られるような奴隷労働なのでもなく。

科学の関心事は、ありのままの世界の成り立ちを理解することにある。一方、工学が取り組んできたのは必要な場所に水がない、ここに建物を建てたいが資材が足りないといった身の回りの問題を解決することだった。

世の中のすべてのエンジニアと同じく、医師もまた患者さんのさまざまな問題に対して、最適解を模索する。これもまた他のエンジニアの方々と同じく、こうした問題を解決するための十分な時間や予算は決して与えられることはない。

外来でじっくりと患者さんの問題点に思いをはせようものなら病棟からは急変コールがかかり、より詳しい診察手段を得るために、病院の事務長に新しいCTの購入を迫ったところで、稟議書を提出した瞬間に捨てられる。

理想を言うのは簡単である。外来は一人あたり最低でも15分はかけたいし、理学所見をフルにとらずに初診の人を帰すなんてとんでもない、いまどきMDCTの一つも入っていないような病院で働くなど、恥ずかしくて人に言えない…。すべての医者がこれを言い出したら、病院は潰れる。

実力のあるエンジニアというのは、あらゆる方面で妥協を強いられるような状況の中でも最適解に最も近い回答を導ける人なのではないかと思う。優秀な医師というのもまた、どんな状況であってもそれに応じた最大のパフォーマンスを発揮することを求められる。

与えられた状況が、たとえばまともに診察をする時間も無いぐらい忙しい病院であるなら、検査を過剰気味に行うことで自分の見逃しをカバーしたり、まともな検査機器など何も無いような田舎の病院であるなら、薬剤の投与の適応を甘めにして安全マージンを広げたりと、教科書どおりの理想の医療ではなくてもできることはいろいろある。

自分にとって悪い状況は、自分で変えるしかない。理想とは程遠い状況の中でも実績を出しつづけ、人を育てて賛同者を増やしていけば、状況はじわじわといい方向に傾いてくる。手を動かさずに文句だけいい続けても、何も変わらない。

教育体制がなっていないからこの病院はだめ、人が少ないから、この検査機器が無いからここではまともな医療ができない、と理想をいって放り投げるのは簡単なことだが、技術者としてはそれではいけないと思う。

循環器内科を志向するのであれば、ダンボール箱ひとつがあれば循環器外来は開業できる。

そこでマスター心電図をとりながら患者さんを掘り起こし、自分の外来患者が増え、黒字収支が続けばより高価な機器を購入できる。循環器疾患に興味を持ってくれるスタッフが増え、この病院でCAGをやりたいという声が高まってくればそのうちにCAG室が作れるかもしれない。

たとえそうならなくても、必要な患者を集め、その人たちをフォローしていく中でより専門的な治療のできる病院に紹介していけば、少なくとも新しい人のつてができる。自分のやりたいことがはっきりしているならば、そうしたつてを生かしてまた新しい道を開くことができる。

医療従事者に対する締め付けはますます厳しくなり、文句をいわずに忙しく働く医者は研修医から基地外扱いされる。もはや潰れかけてはいるが、そんな中でもエンジニアとしてのプライドだけは捨てたくない。

2005年1月15日

脂肪静注製剤のこと

IVHで長期栄養管理を行っている人は、理論上十分な栄養供給を行っているにもかかわらずどんどん痩せていく("肉"の部分が少なくなってしまう)。

この理由のひとつに挙げられているのが、糖質の代謝速度の上限である。人のグルコース代謝量は、最大で2-4mg/kg/分である。このスピードはミトコンドリアの糖代謝が律速段階になっており、インスリンを大量に使って、糖分を細胞内へいくら押し込んでもこのスピードが上がることはない。

このスピードは、体重50kgの人で1日1152kcalの糖分しかエネルギーに回せないことを意味している。

PNツインなどの糖質メインのIVH製剤だけで栄養を供給していると、たとえば1日に1500Kcalをブドウ糖で供給すると、そのうちの1100Kcalはエネルギーに回され、余った400Kcalは体内にグリコーゲンのような形で蓄えられる。

この患者さんの1日に必要なエネルギーが1500Kcalとすると、不足分の400Kcalは体内の蛋白の異化により作られる。

この結果、十分なカロリーを供給しているはずなのに血液データ上の総蛋白/アルブミンは低下はとまらず、患者さんはむくんでいく。

このため、糖分によるエネルギー供給だけでは、体内の構造蛋白の異化を防ぐことは出来ない。このときに、不足するエネルギーを脂質で補ってやると、人体の糖代謝速度の上限を上回るカロリーを供給することができる。

カロリー供給を糖を中心に行うか、脂質を中心に行うかを比較した研究(腹部手術後の患者)では、糖群で見られたCO2産生の増加が脂質群では確認されず、更に糖を中心に栄養を行った群ではエネルギー需要が増加する(グリコーゲン/脂肪新生のために余計にエネルギーが必要になるからと考察されていた)ことが確認されている。

脂肪はもともと非常に良質なカロリー原であり、今まで用いられなかったのは、栄養学的な無理解というよりも、むしろ安全な製剤が普及していない点の方が大きかった。

そんなわけで、一時食事の取れない患者さんのほとんどに脂肪性剤を点滴で使っていたが、最近はその使用量が減少しつつある。

理論上は糖質単独で用いるのに比べて患者さんの栄養状態が非常に改善するはずが、実際に使ってみるとそんなにはっきりとした差が出ない。

末梢からでも安全に滴下できるといううたい文句の割には血管痛が多く、また静脈炎の発症率も高いような気がする。

脂質製剤をを急速に滴下すると、体内のトロンボキサンの合成が高まり、肺血管の収縮を生じる可能性がある。

配合禁忌の薬剤はきっと多いのだろうけれど、脂肪性剤の色が色だけに全く分からない。


どれも医学的な根拠は乏しく、身の回りの患者さん数十人程度を診た「印象」でしかないのだけれど、いまだに得体の知れない部分が多い点滴製剤という印象を拭いきることが出来ず、使用は減っている。

一方でよく使うようになったのは、末梢用のアミノ酸製剤である。

今までは入院直後はラクテックやソルデムなどの輸液製剤、落ち着いてもなお食事が取れなければIVHを考慮していたものが、アミノフリードが販売されてからはIVHの頻度は本当に減った。

カロリー的には明らかにアンダーカロリーのはずなのだが、同じカロリー量の入る10%ブドウ糖ベースの輸液を使ったときに比べても明らかに患者さんの体力の持ちがいい。

違いといえばアミノ酸の供給の有無だけなので、やはり急性期からのアミノ酸補充が何らかのいい効果を出しているのだろうか?このあたりの知識になると、「あるある大辞典」以上のものが自分には全くないので何ともいえない。あくまでも印象論で。

脂質製剤については、治験されている中鎖脂肪酸製剤が販売されたり、あるいはキット化された末梢静脈栄養性剤に脂質バッグが組み込まれたりすれば、まだまだ使用量が増加する余地はあると思う。ソフトバッグ化されてだいぶ使いやすくはなったが、まだまだそのハンドリングの悪さは他の製剤の比ではない。

2005年1月14日

「頑張ってますね」は禁句か?

人の誉めかたには、努力の過程を誉める方法と、その結果を誉める方法との2種類がある。

「頑張っていますね」「大変ですね」という言葉は相手の努力の過程を賞賛する言葉だが、声をかけた相手は自分に比べてなにか大変な思いをしている、ということを前提にしている。

たとえば、高齢者介護を一生懸命続けているご家族に対して、外来などで「頑張っていますね」と声をかけるのは、世の中にはもっと楽をしている人が大勢いる、ということを暗に指摘してしまっている。

相手の境遇の大変さを外来のたびにいちいち確認していては、「自分たちの今の状況は大変だ」->「やっぱり病院に長期入院させてもらおう」という動機を強化するだけなのではないだろうか。

外来担当医は、「頑張っていますね」「よく続いていますね」「大変ですね」といった努力の過程を誉める言葉よりも、むしろ「すごくよくなりましたね」「○○さん元気になりましたね」という介護の結果を賞賛する声をかけたほうが、ご家族が自宅で介護を続ける動機を強化できる。


続きを読む "「頑張ってますね」は禁句か?"

2005年1月13日

他科との転科交渉

重篤な患者、問題が複雑な患者が救急外来から入院すると、複数の科の医師が同時進行的に患者を診察することが発生しうる。当院では、当座は救急外来/集中治療室が主治医を務めるが、後々になり、どこの科が主治医としてその人を診察するかでもめることがある。

主治医を引き受けるとそれに伴って責任がついてまわる。面白そうな症例には誰もが口をはさみたくなるが、いっぽう当事者には誰もなりたくない。一度アドバイザー、オブザーバー的な立場の味をしめた科の医師は、転科の依頼があってもオブザーバーとしての立場を死守しようとする。

こんなときに公式な会議を開き、そこで転科の依頼をするのは無意味である。正式な交渉ルートで交渉を行っても、患者を受けるほうにはいくらでも断る口実が作れる。

当科的にはできることはないように思う。 当科的にできる対策は、すでになされているようだ。 その人の本当の問題は、別の部分にあるのではないか。

いくら理を尽くして説明したところで、取りたくない患者の言い逃れはいくらでもできる。一方、公式な会議の場では「ぶっちゃけた」相談は出来ないため、お互いの利害の絡む交渉はいよいよやりにくくなる。患者に関する詳細なレポートを作ってプレゼンテーションをするぐらいなら、いっそのこと「芸をしますから患者を受けてください」と、裸踊りでもしたほうがよほど患者を受けてくれる可能性は高くなる。

本当に転科の必要な患者、あるいはその科に診て欲しい患者であれば、公式なルートよりもむしろ裏の交渉ルートを作る努力を行うほうが確実である。

大学の同級生、飲み会でつぶしたことのある相手、最近院内で虐げられている喫煙者同士などといった医学的なものとは何の関係もないルートから交渉をはじめ、人のいないところ、忌憚のない意見をお互いに吐ける所での交渉でほとんどのことを決めてしまう。

交渉の内容も、医学的なものからなるべく離れた条件、たとえば今度患者が来たら優先してベッドを作るから、今度一緒にのみに行きましょう、などといったもののほうが議論の「勝ち組み、負け組み」ができにくく、より簡単に交渉が進む。

続きを読む "他科との転科交渉"

2005年1月12日

発表用原稿の覚え書き

学会シーズンも近いので。

症例報告などの口頭発表を行う際にも、原稿を暗記していく以外に発表用の原稿を持っていくほうが間違いが少ない。万が一、暗記している原稿を忘れてしまったときなどでも発表中に上がらずにすむ。

口頭発表に持っていく原稿は、普通の印刷原稿の形式ではない。発表中に詰まったときに、その場所をすぐに参照できるよう、文章のレイアウトに気を使う必要がある。

発表原稿を作る際に気をつけているのは以下のとおり。


読み原稿の文章は極力改行しない。改行を行う際には、語句を途中で切らない。

文章中に"、""。"が出てきたら、そこで改行する。たとえ短い文であっても必ず改行する。完全に自分用の原稿なので、紙面の体裁にこだわる必要は無い。

読みにくい文字はひらがなで書く。発表中は暗いので、そうでないと見えない。

話し言葉で書く。発表中に原稿に目を落とすときは、暗記していた内容が何かの理由で破綻したときなので、何も考えないで朗読できる形で文章が書かれていないと発表中にパニックに陥る。

段落は1文字落とすだけでなく、1行空ける。

フォントはボールド体のゴシックが見やすいと思う。印刷原稿ならば、最低でも20ptぐらいの大きな文字をつかう。

2005年1月11日

狭い医局の教育効果

以前勤めていた病院の医局には、部屋の隅に汚いソファーがあった。

同じソファーセットは15年以上も使われ、買ったばかりの頃は黒い皮の立派なものだったそうだが、自分が研修医として入った頃はもう汚くなっていた。皮もぼろぼろになり、穴があいたら外科の先生がゴアテックスや人工血管で適当にパッチを当てるものだから、表面は白黒のツギハギ模様になり、異様な外観を呈していた。

当時の病院の通常業務は、だいたい夜10時ぐらいに終了する。その頃になると各科のスタッフがソファーの周りに集まり、夜遅くまでだべっているのが常だった。

深夜の救急外来業務は1年生の仕事だったが、救急外来でどうしても分からない患者が来たときは、一切の資料を持って医局に駆け込み、全科のスタッフドクターが集合している中でコンサルテーションを行う。

病院内の主だった科のスタッフは夜には大体医局にそろっており、皆仕事明けで時間があることも手伝って、レジデントは準備不足のプレゼンテーションを散々突っ込まれるのだが、夜遅くまで全科のスタッフに教えを乞うことができるのは本当にありがたかった。

まだまだ病院が野戦病院と化していた時代でスタッフも少なく、カンファレンスのような形でのティーチングの機会も決して多くはなかったが、この頃に吸収させてもらった実戦的な知識は今でも自分の役に立っている。

そのうち病院が増築され、レジデントはレジデントの、スタッフはスタッフの専用の医局が準備されるようになり、ソファーセットも買い換えられた。

救急外来も整備され、医局との距離は遠くなり、自分たちが怒られるほうから教育するほうに回るようになった頃には、夜中の医局のすみでレジデントが怒られる声も聞こえなくなったが、同時に何か大切なものが下級生に伝えられなくなった。

それはおそらく、忙しい業務の中で事故を起こさずに生き延びていくための知識のようなものなのだろうが、うまく言葉にまとめられない。自分たちが教え込まれてきた知識を何とか下級生に伝えようと努力はしたのだが、大学の講義のような型式のカンファレンスでは何かが決定的に伝えられない。

レジデントが何か問題意識をもった際、教科書的なまとまった知識ではなく、自分たちが積み重ねてきた症例の中で、こうしたら上手くいった、こう考えたら失敗したという経験を、その場に応じて伝えられればいいのだろうが、これをマニュアルの型式にまとめるのは難しい。

研修医の生活環境は良いにこしたことはないのだろうけれど、教育のことだけを考えるならば、以前の汚い医局、病院の建物のちょうど中心、ドアすらない狭い空間にソファーセットとスタッフ用の机のみを押し込んだあの空間の教育効果は絶大だった。

今その頃に戻ろうと声をかけても、みんな反対するだろうけれど。

2005年1月10日

研修医の心理的抵抗を解く

尋問官の使うテクニックの一部。

尋問官を上級生、容疑者を研修医という言葉に置き換えてみたがどうもしっくり来ない。

昔書いた怪文書は、5年程前に自己啓発セミナーのトレーナーガイドをもじって簡単に作ったものだが、最近まで随分長いこといろいろな所で引用されていた。

トラブル続きだったので公開を中止したが、その結果アクセス数は全盛期の半分以下にまで落ち込んだ。


続きを読む "研修医の心理的抵抗を解く"

尋問の方法

リラックスした親しみやすい取調べはたいてい良い結果をもたらす。できる限り早く、記憶が鮮明なうちに取調べを行うべきである。


助けを出す。

そのとき何をしていたか?
なぜのそのような行動を取ったのか?
そのとき何か他のものを見たのか?
何か他の物音を聞いたか?
誰か他にその場にいたか?

証言の矛盾点に対して「嘘」「食い違い」「矛盾」といった否定的な言葉は避ける。
代わりに「ポイント」「もう少し詳しく」といった言葉で矛盾点を指摘するようにする。


目撃者はしばしば、認識不足と思われたくないばかりに細部を作り上げてしまう。
必要なのは事実であって作り話ではないので、そうならないよう注意する。


相手の立場に対して思いやりを持つ。たとえば自分の妻を殺してしまった容疑者などは、いかに自分の結婚生活が苦労の多いものであったかに理解を示す尋問官に強く共鳴する。

自分も結婚していて、同じ立場にあるからこそ理解できるとはっきり容疑者に示してやると、容疑者と絆を作ることができる。


徹底して容疑者を孤立させる場所を選ぶ。本人が親しみのない場所に連れて行くことは、孤立感と方向感覚を喪失させる。特に、友人や共謀者とおぼしき者からは遠ざけねばならない。こうすることで、容疑者の精神的な支えと安心感が奪われる。


尋問官は容疑者に与える情報をゆがめることもできる。たとえば、共犯者が自白しているといったことで、それを容疑者が信じるならば相手に精神的なダメージを与えることができる。


さしさわりのない話題からはじめて、徐々に確信に迫る質問を織り交ぜていく。容疑者の不安を増幅させないように趣味や家族のことから質問を開始し、そのうち容疑者がここから先は絶対に譲らないと決めていた一線をうやむやにする。


尋問官は、容疑者に対して優柔不断と思われてはならない。たとえば部屋に入ったとき、相手に対してはどの椅子に座るべきかをはっきりと指定する。「そのへんの椅子に座って」では容疑者に選択の余地を与えてしまい、尋問官の権威をそいでしまう。容疑者に選択の余地の命令を出しつづけることで、容疑者はそのうち進んで尋問官の権威を受け入れるようになる。


シャーロックホームズの質問術というものがある。彼によると、情報を引き出すには相手に「それは違う!」と言わせることがまず必要だと言う。

「つまり彼は青い車に乗っていったのですね」「いや、違います!白い車ですよ!」、といった具合だ。

相手に軽い反発心を起こさせることができればちょっとしたハイな気分を作り出すことができ、普段とは違う行動を促すことができる、ということだろう。


犯罪者の尋問の方法。研修医との会話、患者さんとの会話に何か応用できないかと思っていろいろ調べてみたが、状況が特殊すぎてあまり応用できる要素はなさそう。

一人の研修医を囲んで集団でアレするようなことも、一時に比べて減ってしまった。年をとった証拠か?

続きを読む "尋問の方法"

2005年1月 9日

<a href="http://yellow.ribbon.to/~joke/rikei.html" target="_blank">ラボで成功する法則</a>

1. 自分が何をしているのかさっぱりわからない時でも手際よく作業する。
2. 実験結果には再現性がなければならない。つまり常に同じところで失敗する必要がある。
3. はじめにカーブを描き、次にプロットせよ。
4. 経験とは、壊した器具・装置の数に比例する。
5. 実験データは貴重である。あなたが何か研究しているという証拠になる。
6. 報告にまず力を入れよ。
7. どうしても解答を得られないときは、まず解答から始めて質問を導き出せ。
8. 疑わしき結果でも、説得力のある結果に仕上げよ。
9. 奇跡を信じてはいけない。奇跡に頼るべきである。
10. チームワークは基本である。失敗しても人のせいにできる。

臨床研修の現場でも、忙しくなると同じことをしたくなるような圧力が働く。

誰でも他より出来る奴だと思われたい。臨床の現場には常にレジデント同士の競争がある。

研修医一人一人の時間は限られている。受け持ち患者の数が多くなるほど病棟への足は遠のき、検査結果を確認する手間は惜しくなる。

結果、「○○さんの調子はどう?」などという上級生の質問が出たとき、「まだみてません…」と答えざるを得ないときが来る。

このとき、素直に見ていないことを告白できるなら、その場で怒られるだけですむ。

一方、怒られるのがいやだ、のろまな研修医にみられるのがいやだという心理は誰もが持っている。こうした場面で患者をみてもいないのに「元気でしたよ」と答えても、まず8割がたは何事もなく済む。

こうしたことが繰り返されていくと、患者をろくに診もしない「できる研修医」、外来からの入院オーダーが入った瞬間、患者さんに会いもしないうちから2週間先までの検査オーダーを入れてしまう「要領のいい研修医」が出来上がる。

ウソの連鎖はやがて取り返しのつかない事故につながる。ウソをつかなくてもすむ雰囲気、ウソを告白することを咎めない雰囲気を病棟に作るのは結構大事なのだが、ともするとそれは「ヌルい」空気になってしまい、研修医の生活がだれてしまう。

研修期間は安全であればあるほどいいのだが、一方でどこかのタイミングで研修医には自分の限界を超えてもらわないと成長しない。事故を防ぐには受け持ち患者数は15人程度で制限すべきなのだろうが、どこかのタイミングで一度は30人持ち、50人持ちの世界を経験してもらわないと、研修医の限界は広がらない。

30人も受け持つと、患者さんの顔と名前が一致しなくなる。その世界でも上級生のサポートがあれば結構働けるもので、最初は悲壮な顔をしていた研修医も1週間もするとまた笑顔が出るようになる。

「自分でも一時的にはそのぐらい働ける」ということを実感してもらえたら、次は50人持ちの世界。顔と名前が一致しないのを通り越して、患者さんとは毎日が初対面。病棟スタッフの助けがなければ絶対にこなせない。今まで個人のがんばりで何とかしていた研修医でも、どうやったら周囲の協力を引き出せるのかを真剣に考えるようになる。

一瞬の50人持ちに耐えられるということ、  それは永遠に耐えられるということ。

こうして研修医は鍛えられていく。

昔は本当にこうしたむちゃくちゃな方法で鍛えられたが、それでも当時から「君たちの世代は甘い」と怒られどおしだった。自分の研修病院だけが特殊なんだろうとそのときは思っていたが、後年いろいろな病院を転々とするようになって、自分の病院だけがむちゃな環境ではなかったことを知った。

必要もない修羅場に研修医を叩き込む教育法は確かに危ないのだが、こうした経験のない研修医がそのままスタッフになったとき、外病院でまともな対応ができるのだろうか?研修医の安全性が重要視されるようになったのはここ5-6年ぐらいだが、その人たちが10年目になった頃、その結果がわかると思う。

2005年1月 8日

意図的に仲間はずれをつくる

何人かの人が集まる中で会話するとき、集団の中に多数派と少数派とを作ったほうが会話が盛り上がる。

少数派は何とかその状況を脱しようともがく一方、多数派には強力な仲間意識、共同体意識が生まれる。多数派でいるのは楽なので、皆常に多数派であろうとする。結果、少数派は常に少数派でありつづけ、これがずっと続くと村八分、あるいは「いじめ」といった状態になる。

リーダーがこうした状態を解消するには、何らかの方法で集団を意図的に分割できるようになると、常に特定の人間が仲間から外される機会を減らすことができる。会話に参加した集団を分割する方法はいくつもある。

特定の話題に対する賛成、反対で分ける方法はもっとも簡単だが、一方で集団がどういう分かれ方をするのかのコントロールがつかず、結局多数派にはいつものメンバーが収まってしまう。また議論が盛り上がると喧嘩の原因にもなる。

逆に、会話の流れとは全く関係ない部分、参加者の年齢、性別、職種などの話題をあえて振り、会話に参加した人の考え方ではどうしようもないことで集団を分割すると、分かれかたのコントロールができ、同じ人が常に少数派に入ってしまうのを防ぐことができる。

たとえば、年齢で集団を分けようと思ったら話の流れで以下のような会話を振る。

年上を少数派にする場合

○○さんは「シャボン玉ホリデー」を現役で見ているから
若い頃のベンチャーズを知っているくせに何でそんなことをいうんですか?
コント55号なんて僕たちの世代はもう知りませんから
ベトナム戦争がいつ終わったか知ってます?

年下を少数派にする場合

「おしん」たちを見たことがない奴らに苦労話をして欲しくはないね
お前ら青函連絡船なんて見たことないだろ
やっぱり「白い巨塔」は田宮二郎じゃないとね

病院内はさまざまな年齢層、さまざまな出自の人が同じ病棟で働く。自然発生的にできる少数派は往々にしていじめの原因になるので、早めに手を打たなければならない。

こんなとき、中学生日記よろしく「○○君を仲間に入れてやれよ」、などと諭しても、いじめの燃料を注ぐだけである。

集団での会話の中で意図的に仲間はずれを作れるようになると、会話の流れの中で多数派と少数派とを次々に入れ替えることができる。うまくやると仲間はずれになりそうな研修医を会話の中に引きずり込むのに役に立つ。

もっとも、いちばん簡単なのは上級生同士で結託して全研修医をいびり倒し、「敵の敵は味方」の理屈で研修医の集団をまとめることなのだが…。

2005年1月 7日

戦いを挑む前に

臨床医をやっていると、いろいろな人とのトラブルはつきものになる。患者さんの家族や、場合によっては患者さん自身と一戦交えようかという場面も決して珍しくはない。

病院内で他の業種の人と喧嘩になりそうになったとき、自分は以下のような点に気をつけている。

その喧嘩は本当に勝ち目はあるのか

病棟医はえらい。周囲からいつも「先生」と尊敬されている。自分ならば絶対、目の前の相手に遅れをとることなどありえない。

本当だろうか?

医師は普段から「先生」などと持ち上げられている。周囲は「医師免許」に対して敬語を使っているだけなのに、ともするとそうした敬語をを「白衣の中身」である自分自身への尊敬だと誤解してしまう。

白衣の威光効果の効くような相手ならそもそも喧嘩になどならないので、病棟で喧嘩をしようと思ったら自分自身の力だけで戦うことになる。

裸にされた医師は弱い。普段口論などやらないので議論に弱い、プライドが高いので引くべきときに引けない、病院は医師のホームグランドの割に、喧嘩になると味方はいないなど、医師の喧嘩師としてのポテンシャルはきわめて低い。自分によほどの勝算がない限り、まずは喧嘩以外の道を探る努力をしなくてはならない。

相手に対する非難の根拠は正しいのか

糖尿病の患者が深夜に酒を飲んで困るらしい。寝たきりで入院したはずの高齢者がなぜか元気で、ナースがいきなり抱きつかれたらしい。けしからん患者だ。病棟からたたき出してやる。

その前に、その情報は本当に正しいのだろうか?

スタッフからのクレーム情報でバトルのきっかけが作られる。しかし、実際に起きた事実と、喧嘩のときに引用される「事実」とは要求される証拠のレベルがまったく異なる。証拠のない事実など何の武器にもならない。

スタッフを疑うわけではないが、喧嘩のときは「酒を飲んだ」と主張するなら酒瓶を見つけなくては証拠にならない。「抱きつかれた」と主張するならば、実際に患者さんに抱きついてもらわないと証拠にはならない。

相手に拳をを振り上げる前に、非難の根拠の正当性を十分に検証してからでないと墓穴を掘る可能性がある。自分の怒りのよりどころを相手に簡単にひっくり返され、こぶしの振り下ろし先がなくなるのはこのうえなく惨めな気分だ。

自験例であるが、勝手に飲みに出かける、売店で勝手におやつを買ってしまうというクレームの耐えない糖尿病の人が入院していたことがある。何回かの報告で「もう退院にしよう」という話になり、本人と面談。「あなたはいつも夜抜け出しては飲みに行ったり…」と自分のほうから議論を切り出した矢先、「先生は実際にそれを見たの?」と本人に切り返された。

確かにナースからの報告しか受けていない。また、本当に飲みに行ったのかどうか、写真やレシートを補完してあるわけでなし、何の証拠もない。

結果、その後の議論は完全に受身に回り、自分のつまらないプライドを守るために苦しいいい訳を続ける中で向こうもあきれたのか、「もう、いいよ。許してやるよ。」との話になった。こちらの完敗。

本職のテキ屋の人だったが、自分は高齢者だと思って完全になめてかかっていた。

白衣を着た状態での喧嘩で敗北するとそれはそれは惨めで、喧嘩の行く末を見守っていた他の患者さんからの同情の視線が痛い痛い。2-3日はダメージで回診する足もおぼつかなくなる。

喧嘩に勝って何をしたいのか

別に自分は喧嘩から何か利益を得たいのではない。ただ、相手に誠意を持って頭を下げて欲しいだけだ。

それなら最初から喧嘩など考えてはいけない。頭を下げて反省するふりなど、ふてくされた小学生でもできる。

相手に病院から出ていって欲しいのか。何かを弁償して欲しいのか。勝利した後に何を要求したいのかを具体的に考えておかないと、議論を終わらせることができなくなる。

「相手に謝って欲しい」などといった情緒的な理由は論外。それならば最初から喧嘩などしなくても、相手に頭を下げさせる手段など他にいくらでもある。

自分の欲しい勝利条件は本当に喧嘩以外の手段では達成できないのか、喧嘩になる前によく考えるべきだ。

相手の実力を過小評価していないか

物理的に勝てそうな相手なのかを見極めるのと同様、喧嘩をしようと思ったら、最低限相手の職業に関する知識ぐらいは仕入れる必要がある。

内科で喧嘩になるのはたいてい年上の相手だが、修羅場で効いてくるのは何といっても経験の厚さなので、相手を舐めてかかった時点で医者側の負けは確定したようなものだ。

銀行員や公務員、大きな会社の社員などの「固い」職業の人ならば、病院内で議論するかぎりは医者側が勝つ公算が大きい。それにしても、お互い体面がある商売なので医者側に職業上の不利がないというだけのことだ。

一方そうでない人、中小企業の社長やヤクザ/テキ屋系の人、飲み屋や水商売系の仕事をしている人たちと喧嘩になった場合、まず確実に医者側が負ける。

相手に非がある、相手に不利な証拠があるといった程度のアドバンテージは強弁で簡単にひっくり返される。医師が自分の面子にこだわってもたもたしているうちに、相手の論理は2歩も3歩も先を行ってしまう。やっと追いついたときには、もう自分側に切れるカードは何も残っていない。

見た目が弱そうな人ならば、議論で負けそうなら拳で勝負という選択もありうる。しかし病院内では、医者は相手に殴られることはあっても、自分から手を出すことは絶対に出来ない。

相手の卑屈そうな態度、こちらを恐れているような態度を見ただけで「勝ち目がある」などと思っていると、喧嘩が始まった瞬間に相手に黒コゲにされるだろう。

自分が負けて失うものはないのか

どんなに準備を周到にしても、医者側が負けることは当然ありうる。医者が背水の陣を引くと、負けたときに再起不能になる可能性がある。自分の必勝を疑わずに戦場をナースルームなどにしようものなら、負けた後は恥ずかしくて病棟を回診することすら出来なくなる。

失う物が少ない人は議論が強い。形成が自分に不利になりそうな部分はさっさと引き、思いもかけないところから反撃してくる。

自分が負けたときに失うものが大きいと、不利な喧嘩を上手に引くことができない。結果、議論から軽やかさが失われ、相手に言いくるめられたり、勝てると踏んで仕掛けた議論が粉砕されたとき、鈍重な理屈を重ねて墓穴を掘ることになる。

自分が負けたときのダメージが大きそうなとき、たとえば個室で議論を仕掛けて負けたときのダメージが外に漏れないようにする、部長クラスの医師を呼んでもらい調停に入ってもらう、何とか激しい論争を避けて、失うものなく同じ結果を得られるチャンネルを探るなど、衆人環視の中での正面きっての喧嘩を避けるよう最大限の努力する必要がある。

2005年1月 6日

相手をその気にさせる看護

訪問看護を専門に行っているナースの中に、時々マインドコントロールの達人がいる。

退院するときに介護することを嫌がる家族、無理に説き伏せて自宅に退院してもらった家族の患者は、少しでも調子が悪くなるとすぐに病院に戻ってきてしまう。

あるとき、「この人たちは絶対3週間で戻ってくるね」と病棟の誰もが思っていたご家族の場合、その訪問看護婦さんが担当してから数ヶ月、ついに1回も再入院することがなかった。自分で訪問に行ってみると、あれほど介護を嫌がっていたはずのご家族はすっかり介護のベテランになっていた。

それからたいぶ経ってその方が亡くなった後、「何かできないかと思って」と近所の介護ボランティアをはじめるようになったという。

まだ自分自身は力ずくのムンテラしかできなかった頃。その看護婦さんに家族を説得する方法を聞いたことがあるが、「とにかく誠意を持って説得、指導するだけですよ」とのことだった(ずいぶん昔の話だが、少なくとも秘伝に相当する話は出なかったように思う)。

今から思うと、その看護婦さんの担当していた家族の顔は病院を退院するときの悲壮なものとは打って変わり、明るくなっていた。訪問先の家の中で何があったのかはわからずじまいだが、とにかくその人が訪問してしばらくすると、患者さんに対する家族の価値観が180度反対になることが珍しくなかった。

某カルト団体の7days合宿は北海道のユースホステルなどを借り切って行う。少ない食事、少ない睡眠時間、朝から始まる説法の3点セットを毎日続けると、3日目ぐらいから参加者の表情が変わる。7日目には団体の厳しい生活が心から楽しいと思えるようになる。

方法論こそ違え、訪問看護の人たちは家族の介護に対する価値観を訪問という行為を通じて書き換えようとしている。それが上手くいっているとき、医者が不必要にしゃしゃり出てもろくなことがない。

今よりもっと馬鹿だった頃、何か自分の「存在意義」が失われてしまうような気がして家族に対して権威的に出てしまい、訪問看護婦さんの苦労をぶち壊しにしてしまったことが何回かある。当時